2012年12月31日月曜日

お正月さまを迎える準備



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(南房総市 小松寺のハート模様鯉)
冬至が過ぎ、クリスマスが過ぎ、いよいよ2012年が終わろうとしています。
年を送り迎えするときには様々な決まりごとがあって、面白いなと思います。
以前は、正直に言うと「面白いな」より「めんどうくさい…」と思っていました。
古いしきたりなど、つまらない迷信にしばられた人々の遺産であり、
形ばかりにすぎない慣習でしょ、と否定したい時期がありました。
 山の神様、水の神様、田の神様、そして年神様…。
厳格な神様がそこら中にうようよいらしたら、
いつも見張られていて気が休まらず、窮屈だと思いました。


 でも、ある時からそうは思わなくなりました。
神様たちは、いつも私達を見張って手厳しく眺めて
いるわけじゃないようです。
 この世を去って長い長い時間を経たご先祖様たちの魂は、
祖霊神となり、山や海、田などあらゆる場所で私達を見守る神に
なってくれるらしいのです。
 ご先祖の人間だけでなく、家族として別れた動物たちや心の支えになった
植物たちも、その大らかな神様に含まれている、と私は信じています。
 

 お正月は、自分がこうしてここに生きていられる有難さや幸せを実感し、
見守ってくれる存在に感謝する時間に思えます。だから、形ばかりに思えた習慣は、
自分なりにかみくだけばいいのでした。
 正月のお飾りをギリギリに飾る『一夜飾り』はよくないからと、まだ掃除もすませていない
ホコリだらけの玄関へあわてて飾るより、大晦日までそうじが延びてしまっても、
しっかりきれいにしてから神様を招く目印をかかげる方がいいかもしれません。
 

 そう言う私は、元旦早々から旅行に出るために、大晦日までかかってばたばたと
荷物の準備や正月の準備をしている『ギリギリ人間』です。
祖霊の年神さまも、「あいかわらず、ゆとりがない人生を送っているな…」
と眉をひそめるかもしれませんが、にやっと笑って応援してくれる気もします。
(神事にも宗教にも疎い私の身勝手な想像です。)


 2013年が、おだやかな年となりますように。




2012年12月21日金曜日

冬至



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一年で一番陽が短い日。
ただでさえ太陽が照る時間が少ないのに、
今日は昼頃から曇天でした。

毎年、冬至を迎えると私は嬉しくなります。
早まる日暮れが折り返し地点を過ぎ、今から太陽は春に向かって
長くなっていくのだと思うと、嬉しくなるのです。
 だから、今日はなんとなく大晦日で明日が新年に
思えるのでした。
天文学的に言えば、一番早い日の入りと一番遅い日の出時刻は
微妙にずれ、冬至の日がピークではないようですが、
気持ちとしては、明日から太陽は少しずつ早く出て遅く消えるという
イメージです。

毎年必ず母がかぼちゃ料理を作り、ゆず風呂を沸かす冬至の夜。
海で拾ったガラス片と貝を組み合わせたろうそく立てで、
やわらかな光を灯しました。




2012年12月11日火曜日

大好きな丸いもの④



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先週末、この冬初めて雪のある場所へ出かけてきました。
群馬県の万座温泉です。


 スキーシーズン直前の閑散期だったので、静かな湯治旅館で
ゆっくりとお湯につかることが出来ました。
雪で覆われた地面をそっと歩き、
白銀の山々を眺める楽しみも味わいました。
写真の丸いものは、草木が生えない温泉湧出地帯の
砂礫地に、強風で吹きつけた粉雪が創った模様です。

 
 母が福島の豪雪地帯出身のおかげで、私は幼い頃から
家屋の1階が埋まるほどの積雪を体験する機会に恵まれました。
雪に関する興味深い実体験もたくさん聞かせてもらって育ったので、
雪の美しさや楽しさだけでなく、つらさやおそろしさも心にしみつきました。
面白くてドキドキして何度も「その話して!」とせがんだ話が幾つかありました。
その中の一つ。
母が6歳の時、4歳年下の弟が食べる分の芋を、つい横取りしてしてしまいました。
戦後まもなくの、いつも空腹だった時代です。
消えた芋を不審に思い、祖母が母にたずねましたが、
幼い母は「オラ、しらね。」としらんぷり。
結局すぐに嘘はばれ、烈火の如く怒った祖母が
「うそつきは、絶対にゆるさねえんだぞ!」
と一喝し、母を野外の雪原へブーンと思いっきり放り投げたのでした。
二メートルほどの積雪の中へ母はスポンっと埋まりました。
真っ白な視界の中、どちらが上か下かもわからなくなり、とてつもない不安と後悔に包まれたそうです…。
きっと、どんなに泣き叫んでも、声は雪に吸いとられてひびかなかったでしょうね。その後どのくらいで、誰がたすけてくれたかは憶えていないようですが、母は、絶対ウソはつかないと心に誓って、今日まで正直者で生きていると胸をはるのでした。


 私も、あそびで雪の中へ倒れこみ、埋まってみたことがあります。
しんとしているのに、チリチリ…というかすかな音が
聞こえるような、不思議な空間でした。
雪原の丸い丘の上を、小人になって上り下りしたい気持ちで、
地面ギリギリにしゃがんで写真を撮ってみました。




2012年11月17日土曜日

大好きな丸いもの③



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庭のコキアが赤から茶色に変化しようとしています。
今年は10月がとても忙しく、ゆっくりコキアを眺める時間も
少なかったのですが、いつの間にかきれいに紅葉してくれていました。
コキアは、三年前に茨城県の『ひたち海浜公園』で丘一面にひしめいているのを見てひとめぼれしました↓
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苗を三本だけ買って植えてから、毎年庭のどこかしらで芽を出してくれます。
でも、ここならきっと育つだろうと予測した場所では思ったより大きく育たず、
意外に大変そうな場所で丸く大きくなったりします。コキアにかぎることではありませんが、その年の気候によって、育ちやすい場所は変わるようです。今年の夏は猛暑と少ない雨だったので、日当たりが良い場所は過酷すぎて、全体的に大きく育ちませんでした。
 

 近所の駐車場の割れ目のちょっとした土に、こちらからコキアのタネが飛び、発芽しました。
(あんなとこに芽が出てしまって、車か人にすぐ踏まれてしまうだろうな…。)
関心が無い人なら、ほとんど気に留めることなく見過ごされる小さな草です。
ところが、『過酷なコキア』は踏まれず、貧弱な土壌では上出来なくらい育ったのです。
 土地の潜在能力と、植物が人の心に贈ってくれる不思議な力のおかげですね。
何も考えず歩くコンクリートに、たった一つ草花が息づくだけで、踏み下ろす足に優しさが宿るのかもしれません。
 大好きな愛読書「みどりのゆび」が頭に浮かびました。
主人公のチトは、あらゆる隙間に眠っている種子を目覚めさせ、一晩で開花させる能力を持っていました。
一晩でびっくりするほど育たなくても、植物はすさんだ心の人間に少しずつ優しさをわけてくれるようでした。





2012年11月3日土曜日

震災で消えた小さな命展…17



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10月22日まで山形県で展示されたのが東北では最後の展示になり、
現在、愛知県西尾市展示されています。
これからは、全国各地を巡っていくのですね。
被災されていない方たちの心にも、小さな命の声が届きますように。


 小さな命の声と書いて、久しぶりに思い出した作家がありました。
山形県高畠町出身の浜田広介という児童文学者。
「泣いた赤鬼」や「りゅうの目の涙」などが有名ですが、
その他にもたくさんの作品があるのをご存知でしょうか。
私が好きな作品は「みそさざい」「ある島のきつね」「花びらの旅」などです。


 児童文学の歴史において、浜田広介という人は
「子どもが退屈するものであり、子どものための文学ではない、
前時代のものだ。日本のアンデルセンなどと呼ばれるが、
アンデルセンになどとうてい及ばない。」
と酷評されることもあるそうです。

 
 確かに、子どもが面白いと思うというよりも、読んで聞かせる
大人が心にじんわりくる作品が多いのかも知れません。
でも、大人が読んで心にじんわりきたものは、子どもにも伝わるのでは
ないでしょうか。
 

 目に見えないほどかすかな存在や、歩いていると見過ごしてしまう
微小な命たちが、浜田広介のお話の中では暖かで優しい存在感を
そっと見せてくれるのです。
 ドラマチックではないけれど、ひっそりしたそのストーリーは、
子どもの頃に読んでもらってすぐに忘れたとしても、数十年経った
大人になって突然思い出すかもしれません。
「あれ、あの話、一体誰だったかな?」
「なんだかほっとした気がするけど、終わりはどうなったっけ?」
そんなふうに、物語のタネは数十年後に発芽するかもしれません。




2012年10月14日日曜日

震災で消えた小さな命展…16



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現在、盛岡市のリリオで行われています。
会場は駅から少し歩く場所にあるそうですが、
テレビで紹介されたおかげで、お客さんが来てくれている
とききました。今日は最終日です。
どうか、もっとたくさんの方が来ていただけますように。


 盛岡と聞くと思い出す人が、村上昭夫です。
『動物哀歌』という詩集一冊を残し夭折した岩手県の詩人です。
今年は生誕85周年だそうで、彼の命日10月11日の「こおろぎ忌」から
現在、盛岡市で記念行事が行われているようです。
『部屋にはこおろぎがいるのに なぜこおろぎの話をしないのか
 この部屋の人達はみんな女の話ばかりする』
この文で始まる詩、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
初めてこの詩を読んだ時、私はすぐに作者について調べました。
 当時はパソコンも身近になく、インターネットを利用することも出来なかったので、
図書館でいろいろ検索して調べました。
そして動物哀歌という詩集と、村上昭夫という詩人について知ったのでした。


 私も時々上の詩のように思います。
山を歩いていて、海辺を歩いていて思います。
「山には鳥が鳴いている なぜ鳥の話をしないのか
 海には貝が落ちている なぜ貝の話をしないのか
 歩いている人達は みな 山や海と関係ない話ばかりする」

命について突き詰め、澄んだ世界の詩を生んだ詩人が、
もしも魂となって盛岡市内を訪れていてくれるなら、
『小さな命展』会場に立ち寄ってくれないかな、と思います。





2012年10月3日水曜日

震災で消えた小さな命展…15



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(釜石での展示風景)
岩手沿岸部での展示が釜石で9月28日から始まり、
現在は、大槌町シーサイドタウン・マストで行われています。
たくさんの方が観に来られていると聞き、嬉しく思います。
開催に携わって下さる方たちに、いつもながら感謝しています。


今回出させていただいた、もう一つの作品が、
かわいらしい顔の茶トラ猫のKちゃんと、ミドリガメ(アカミミガメ)の
Wちゃんです。
依頼された方は大槌町にお住まいなのに、早く観たいからというお気持ちで
釜石まで来て下さったそうです。その気持ちに応えられたかどうか、
自信がない私ですが、絵に込めた気持ちは伝わったかと信じています。

 
 一緒に暮らしたことはありませんが、私は亀が好きです。
ダイビングやシュノーケリングをしていて海亀と出会えた時には、
本当に幸せな気分でした。
 どちらかというと、甲羅が丸く盛り上がったリクガメのほうが好きで、
ヨーロッパ旅行をしているときに野良リクガメ?に会えたのも
忘れられない嬉しい思い出です。

 
 でも一番最近出会った亀はWちゃんと同じ、アカミミガメです。
この夏、近所の農道を自転車で走っている時、用水路のそばで会ったのです。
 猛烈に暑い日でした。
自転車に乗っている私にも、ジリジリと暑さの伝わるアスファルトの上を、
その亀は一生懸命歩いていました。猛暑で枯れてしまった水路を脱出し、
水のある場所を探しているようでした。
(無事に水場へたどり着けるのだろうか。)
自転車で田んぼの中の一本道を走っていると、悲しい交通事故にあって
命を落としている亀や蛙を多く目にするのでした。
 農道のはるか向こうからトラックがやってくるのを見て、
思わず私は亀をつかみ、その先の水路土手へ置きました。
あの亀がその水路へ行きたかったかどうか、私にはわかりません。 
もしかしたら、余計なお世話だったのかもしれません。
 
 秋になり、ようやく雨も多くなった現在、あの亀が無事に水路を泳いでいてくれる
ことを祈ります。今は、水路のそばに彼岸花が赤く連なっています。




2012年9月26日水曜日

震災で消えた小さな命展…14



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(ナリサワギャラリー展示風景)


石巻市での展示が24日までで終わりました。
パート1でもお世話になり、今回もまた趣旨を深く理解してくださっている
ギャラリーの方のおかげで開催できたと聞きました。
本当に感謝したいです。ボランティアの方たちへも。


 パート2で、私は2つの作品を出させていただいたのですが、
そのうちの1つが、石巻に住んでいらっしゃるかたからのご依頼でした。
Yちゃんという白いマルチーズの男の子です。
お借りした1枚の写真から、本当に無邪気に、あふれるような愛情を
家族から受けているように感じられました。
だから、そんな笑顔を描きたいと思いました。


 家族の方とお会いしたうささんから聞きました。
本当に、いつもいつもYちゃんと一緒に過ごし、寝るのも一緒、
ちょっと買い物へお出かけするのも一緒だったと。
絵の中のYちゃんを、何度もなでていってくださったと。


 参加して良かった、と改めてかみしめています。





2012年9月20日木曜日

月の山の思い出



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(夜明け・吾妻連峰から山形蔵王方面)
先月末、久しぶりに山に登って無人の避難小屋へ泊まってきました。
木の実や葉が屋根に落ちる音にさえドキッとする静寂に、全身が耳と化したようなあの感覚は本当に久しぶりでした。峰からどーんと生えた天の川や、夜明けに眺める紫の雲海も。


 秋のお彼岸に入ると、ある山を思い出します。
山形県の月山です。穏やかな山容が魅力で、様々な季節に訪れている山の一つでした。
十数年前の9月初旬。遅い夏休暇をもらい、私は月山を訪れました。
無人の小屋で夜を過ごし、秋の花が咲くゆるやかな下山道をたどり、情緒ある肘折温泉へ下るルートです。さすがに長い道のりで、温泉へたどり着いた頃には半分足を引きずるくらい疲れていました。
 最初に尋ねた、木造の趣きある湯治宿で運よく空き室があったので、素泊まりさせていただきました。(貧乏旅行でしたので、基本的に温泉は自炊・素泊まりです。)
 襖一枚でへだたるお隣から、すっと手が伸びてきて「日本で一番早く食べられるリンゴをあげるぞ!」青森から湯治にやってきた老婆がダンボール箱からリンゴを分けてくれました。
 老婆は「青森以外では食えねえぞ。一番のりだからな。」とお国自慢をしていました。
確かにその当時、9月初めにリンゴはあまり出回っていなかったと思います。
「ありがとうございます。」といただいたものの、満腹で食べられなかったので、
こっそりとリュックにしまいました。 
 翌日、肘折温泉の湯花をお土産に買い、福島県の奥会津地方に一人で暮らしている祖母の家に寄り道をしました。
すると祖母は珍しく風邪気味で食欲がなく、胃腸も不調だとのこと。
「なんだか、なにものどがとおらねえんだよ。」と嘆く祖母に、私はリュックにしまっていた
『日本で一番早いリンゴ』をすりおろしてあげました。
「リンゴなんかまだ売ってねえものなあ、ああ、これならのどとおるわ。」
祖母は、嬉しそうに食べてくれました。
 そして私が帰る時、とっくに社会人になっている私に『おこづかい』を差し出すのです。
辞退する私の手に無理やり持たせて。
「風邪ひいてたときに、きてくれてうれしかったから、今回は特別だ。」
 

 祖母はその2週間後に亡くなりました。持病の動脈溜による急な死。彼女が日ごろ仏様にお願いしていたのがかなったかのように、突如ぽっくり空に昇ってしまったのです。
ちょうど、その年の中秋の名月の日、秋の彼岸の最中でした。

 
 無人小屋で月山を思い出し、『日本で一番早いリンゴ』と温泉、そして大好きだった祖母を思い出すこの季節。
「中秋の名月、今年は何日だろう。」
と、私は暦を探します。もらった『おこづかい』は未だに使えず、大切にとってあります。




2012年9月15日土曜日

震災で消えた小さな命展…13



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(仙台 エレクトロンホール展示風景)

今回もたくさんのボランティアの方たちに支えられて、
仙台での展示が始まりました。
多くの人たちの心に、動物たちの声が届きますように…。




2012年9月1日土曜日

震災で消えた小さな命展…12



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(柏 ハックルベリーブックス展示風景)

柏市のハックルベリー・ブックスで昨日まで開催していました。
搬入出作業・会場係に携わってくださった方たち、本当に有難うございます。

パソコンが不調で、この日記を書けずに9月を迎えてしまいましが、
私は26日に会場へ伺いました。
小さなあたたかい本屋さんに、たくさんの命がひしめいていました。

いよいよ今月は東北の被災地へ、彼ら動物たちが飼い主さんたちと
再会する旅に出ます。




2012年8月12日日曜日

震災で消えた小さな命展…11



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震災で消えた小さな命展パート2 が8月25日から始まります。
前回より更に大きく広がり、申し込み数・参加作家・会期が
増えました。
前半はスタートの千葉県柏市以外、被災地巡回が主です。
(後半には都心での展示もあるそうです。)

皆様是非見にいらしてください。

ホームページに詳しく載っています。
 http://www.chiisanainochi.com/





2012年8月3日金曜日

大好きな丸いもの②



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私の好きな動物、ウサギの丸いフンです。
人によっては、臭いというかもしれませんが、概ねの方は、
なんだか干草の匂いがするくらいだねと言う程度しかにおいません。

 
 ご存知の方も多いでしょうけど、うさぎたちはこれとは異なる
ねっとりとした(これはくさい!)フンも排泄します
もう一度それを食して、フンに含まれた栄養を吸収してから、
最終的に排泄されるのが丸いフン。これにはもう栄養が残っていません。
 純草食の動物たちは、消化吸収の効率が悪い草を体内へ取り込むために、
とても丁寧な作業をしているのです。

 
 うさぎの丸いものは、庭に埋めて土へ還し、野菜が育つ糧となってくれますが、
雨が降ったあとにキノコが生えている時があります。
突然一晩で現れるキノコの群れを見ると、
「宇宙人みたい…。」
私は不思議な気分になるのでした。
キノコなど菌類という生き物は調べるとナゾが多いらしく、
人間が解っていることなんてほんの一部分なのじゃないかなと思います。
 
 
 キノコだけではなく、自然界すべてについて人間に明らかにされたことなど、
かなりちっぽけな量なのでしょうね。
だから、私はたくさん想像を楽しみ、創造していくことにします。





2012年7月10日火曜日

震災で消えた小さな命展⑩



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(シーサイドタウンマスト・うささん撮影)
6日の金曜日から昨日の16時まで、岩手県の大槌町で
特別追加展が行われ、16時以降は『絵になった動物たち』が
申し込みされた飼い主さんの元へと帰っていく時間が設けられ、
たくさんの方がお迎えに来てくださったそうです。
うささん、会場をお手伝いしてくださったボランティアの方、
本当にありがとうございました。


3ヶ月半の間、一緒に過ごした絵の動物たちは、
「じゃあね、元気でね!」
とお互いあいさつしているのかもしれません。
「またいつか会えるかな。」
「家がわかったから、会いにいくよ!」
そんな言葉が飛び交っているのかもしれません。
そんな想像をすると、あたたかい涙があふれます。


幼稚園の頃の、悪天候日のお迎えを思い出しました。
私の通っていた小さな幼稚園は、スクールバスもなく、
晴天時は集合場所まで先生と集団で少しの間歩いて帰り、
そこで保護者が待っていたのでした。
けれど、ひどい雨の時などは、集合場所まで歩くことを見合わせ、
園舎のある丘の上まで、保護者がお迎えに来てくれるのです。
 ある雷雨の日のこと。
外は滝のような豪雨で、時折稲妻の閃光や雷鳴がとどろいていました。
大好きなサトウ先生が、大好きな紙芝居の「ロボットカミイ」
を読んでいて、私たちはお迎えを待っている時間でした。
紙芝居が始まってすぐ、私の名前が呼ばれました。
「お母さんがきたよ。」
(え…。)
自宅で洋裁の仕事をしていた母は、
このような時は、誰よりも早く迎えに来てくれたのです。
帰り道、母が持ってきてくれた雨合羽に身をつつみ、
手をつないで歩きながら、私は不満を打ち明けたそうです。
「お母さん、お願いだから遅くお迎えにきて。」
そのことは私は憶えていないのですが…。

今になれば、とにかく早く来てくれた母に感謝です。
でも、あの時の私は紙芝居が気になって仕方なかったのでしょうね。

 

 お迎えにきてもらった絵も、飼い主さんのご都合が悪くて
あとから郵送される絵も、7月の末までには確実に家へ
帰っていくのでしょう。

 そして、震災で消えた小さな命展パート2が、
また新しい魂たちをのせて、8月から始まるのです。





2012年6月25日月曜日

大好きな丸いもの①



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(戦場ヶ原のわたすげ)

先週、奥日光の戦場ヶ原・小田代が原へ行って来ました。
首都圏から近く、日帰りも可能な場所なので、多くの人出があってにぎやかでした。
出来れば静かにそっと眺めたい景色ですが、お目当ての大好きなワタスゲに出会えて満足です。


私は、ワタスゲが大好きです。
あの、なんとものんきな丸い綿の群れが、風にゆらゆらしていると、
嬉しくなります。

 初めて見たのは、福島県の吾妻連邦の玄関口・浄土平の湿原でした。
吾妻スカイラインが通っているバス停から、歩いてすぐの場所にある湿原です。
そこからは、山形県へ抜ける県境の山々の縦走路が続いています。
私も、そこを初めて訪れた時、更に奥地へ歩く予定でしたから、スタート地点の浄土平は
早足で通り過ぎようとしていました。


 ところが、木道のそばでゆれている丸いワタスゲの群れを見つけてしまい、
立ち去りがたくなりました。
吾妻小富士の真上にかかる白い雲が、緑の草原にふんわりまるまって
降りてきているかのようでした。
 あまりにもかわいいワタスゲに一目ぼれし、写真を撮ったりメモ帳にスケッチしたりして、
木道をうろうろと往復してすごしました。
結局、奥の山へ行く時間は無くなり、すぐ近くの一切経山という山へ登るだけに
変更したのです。


 それ以来、たくさんの湿原に行きました。出来れば、ワタスゲが白い果穂をつける季節にたずねています。釧路湿原、尾瀬、八甲田、苗場、群馬の芳が平など、様々な場所で白くて丸い綿に会えました。
何度出会っても、ドキドキして幸せな気持ちになる『大好きな丸いもの』です。
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2012年6月13日水曜日

小さな駅の美術館~震災で消えた小さな命展⑨



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(紀勢本線・藤並駅 うささん撮影)
和歌山県の藤並駅の駅舎に併設された小さな美術館で、
小さな命展が始まりました。昨日の搬入はうささんと美術館の方三人で
やっていただいたそうで、ありがとうございます。

 
 駅舎にある美術館、とてもいいなあと思います。
紀勢本線を利用したことはありませんが、いつか藤並駅に立ち寄って
その時に偶然素敵な絵と出会いたいな、と思っています。


 16歳でバイク18歳で車の免許をいち早く取得し、乗り回していた私ですが
(注:ヤンキーではありません)20代になって、船や電車で旅をすることが好きになりました。
飛行機で行けば早いし価格も安いのに、ちょっと贅沢な夜行寝台にたくさん乗りました。
 はくつる・北斗星・はやぶさ・あさかぜ…今は消えてしまった列車も多いですね。
携帯電話もパソコンも勿論もっていない時なので、駅に備え付けてある時刻表をめくって列車を確かめ、宿泊は駅舎の公衆電話でタウンページをめくって探しました。

 
 その頃の私の旅に、駅と言う場所はとても大切で、駅にいる時間は
非常に重要でした。
不便な場所で、接続列車が何時間も来ない時。
ついつい美しい風景に見とれ、予定していた列車に乗り遅れた時。
深夜発の夜行にのるため、窓口も売店もすべて閉まった待合室に一人で待っていた時間。
今でこそ、そういう待ち時間にはすかさず携帯電話などに目を当てますが、
当時は、持っている観光ガイドブックや駅に貼られた掲示物などをぼんやり
眺めては、心に去来する物事を想って過ごしました。

 
 北海道のある駅で、駅構内にこじんまりと展示された写真展を見た時、
一枚の山の写真にとてもひきつけられた記憶があります。
駅員さんに、どこの山なのかたずねましたが、
「一般の方から募集した風景写真で、わからない」とのことでした。
結局、どこなのかわからぬまま、今も私の脳裏にはあの写真の山が
くっきりと残っています。一度きりの出会いなのに、十数年消えません。


『震災で消えた小さな命展』の絵の記憶を、偶然待ち合わせで訪れたどなたかの心の中へ、
そっと連れて行ってもらえたら嬉しいですね。
そして、絵の中の命たちが、見た人のその後の人生にじんわりと残ってくれたら、
さらに有難く思います。





2012年6月4日月曜日

6月になっていました



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(ヒルザキツキミソウ)

震災で消えた小さな命展が昨日、多賀城市で1日だけの展示がありました。
いよいよあとは和歌山と、特別追加の大槌町だけとなりました。
 絵に宿る動物たちは、一緒に台湾まで旅をしてきて、すっかり皆お友達どうしになっているのでしょうか。

 
 庭のまわりに、桃色の月見草がたくさん咲いていてキレイです。
これは昼咲き月見草と言う名で、北米原産の帰化植物だそうです。
手入れの甘いうちの庭でも増えることのできる、強い草のようですね。
帰化植物というものは、迷惑そうに語られることが多いです。
帰化動物となると、更に、害獣などと呼ばれかねません。


 自然状態では起こりえない人為的な移動により、本来分布していない
生態圏へ移動し、在来種を駆逐してしまう…などと汚名を着せられて
います。
そもそも、鉄のかたまりが空を駆け抜けて行く飛行機も、
自然ではありえないことですし、人間の都合で野に放したり
繁殖させたりする行為自体、自然界で起こってはならないこと。
ヒルザキツキミソウだけではなく、周りにはたくさん帰化した命がいます。
ウシガエル、ジャンボタニシ、コジュケイ、アカミミガメ…。
 

 人間という生物は、そこにいるだけで自然にダメージを大きく与えるのですから、これ以上バランスを崩さないように、ヒッソリコッソリ生息してほしいものです。





2012年5月20日日曜日

震災で消えた小さな命展⑧



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(台湾-台北 誠品書店B2ギャラリー・うささん撮影)


小さな命の絵たちが海を渡り、台北での展示が始まりました。
ここでも、ボランティアの方々が搬入作業などで集まってくれたそうで、本当に感謝です。
どうか、台湾の方たちにも命の等しさが伝わりますように…。


 私は、台湾という国へ行ったことがありません。
けれど、一度だけ眺めた事があります。
ずいぶん昔の若い頃の話ですが、日本の最西端の与那国島に数ヶ月
アルバイトをしながら住んでいたことがありました。
民宿の住み込みバイトやサトウキビ畑の作業などをしながら、
島の自然を体感する、今思えば若いエネルギーに満ち溢れた日々でした。
島のおばあちゃんが、
「あたしが若い頃は、ヤマトー(日本国)より台湾の方が親しかったさ。
 それに、手漕ぎの船で台湾と行き来してたからね。
 だからあたしたちは台湾語だって覚えてるさ。」
と言っていました。
当時の私は、
「ほお!」
と感心したものの、あまり深く考えませんでした。
そんなに近いのか~、くらいにしか思わず、実際、島の高地から眺めた台湾の島影に感動したくらいでした。後から聞きましたが、台湾はいつも見えるわけじゃなく、気象条件によって偶然見えたようです。

 沖縄が、琉球から日本の沖縄県になってからたった40年しか経っていないのですね。
最西端の与那国のおばあちゃんにとって、日本の本土はつくづく遠かったのだろうな、と今になってしみじみ思います。精神文化面でも、実際の交流も。
現在、日本と台湾は正式な国交がないと聞きました。なんとも変な話です。
こんなに近くて、親しい気持ちを抱く人がたくさんいる隣国と正式な国交がないとは。
でも、考えてみれば国交なんてそれほど重要じゃないのでしょうか。
国同士ではなくて、人同士が付き合うのですから。

 
 東日本大震災後、全世界で一番たくさんの支援をしてくださった台湾。
寄せられた巨額の募金は、生活水準を考慮して計算すると、更に大きな額に膨れ上がります。
助けてもらった感謝を忘れず、相手方に何かあったらすぐに手を差し伸べられる自分でありたいな…と思います。





2012年5月13日日曜日

怖い 怖い 渦



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(十数年前の5月・三宅島にて)


5月は、1年で1番私が好きな月です。
ゴールデンウィークをバタバタと過ごし、平常日課が戻ってきたと思ったら、5月はすでに10日も過ぎていました。

先日、茨城県で恐ろしい竜巻が発生した映像をテレビで見ました。
竜巻は、本当に怖いです。

でも私は、幼い頃から大人になっても、そんな恐ろしい竜巻を、一度でいいから見たいと思っていました。
恥ずかしい話ですが、オズの魔法使いのように、あの渦がどこか不思議な世界へ通じているような気がしていたのです。

 そんな私のバカな思いを打ち砕いたのは、十数年前に三宅島を訪れた旅の時。まだ噴火する前の三宅島を、フェリーに自転車をのせて行きました。
 島の長い坂道を登って行く途中、突然の雷雨に見舞われました。
大粒の雨と稲妻…落雷が怖かったので、自転車から離れ、どこかに身をかくそうとして周囲を見渡した私の目に、灰色の巨大ホースが立ち上がっているのが飛び込みました。
それは、海面にそそり立つ竜巻でした。

身の毛がよだつという言葉を、身をもって体験したのはそれが初めてでした。震えながら、前方でうねる2本の竜巻を見上げ、私は足がすくんで動けませんでした…。
 こちらに載せた写真は、その時、たまたま手に持っていたインスタントカメラで撮ったものです。身の毛がよだつ思いをしてから、その後ずいぶん時間が経ち、竜巻が海上を遠ざかりつつあるのを知ってから撮影しました。


 竜巻は、まきこんだものを不思議の世界になど連れて行ってくれません。
巻き込まれた命は奪われるし、通り道にあったものは壊され、地上にたたきつけられてしまいます…。
 あの時以来、私の竜巻への憧れは、あの黒々とした空へ吸い込まれて、どこかへ消えてなくなりました。

大好きな5月に、もう、あのような痛ましい災害が起きないように、
祈っています。




2012年4月29日日曜日

震災で消えた小さな命展⑦



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(一口坂ギャラリー)


被災地での巡回を終えた絵たちが、東京に戻ってきました。
26日の初日から、たくさんの人が訪れてくださっているそうです。
様々なメディアに取材されたことと、作家の皆さんがたくさん広めてくれたおかげです!

私も、昨日母を連れて会場に行きました。ギャラリーの方、ボランティアで会場係をしていただいているたくさんの方、そして毎日会場係をしてくださっている作家のまつやまさん、うささん、本当に有難うございます。
お手伝いも出来ず、申し訳ありません。

亡くなった命たちの絵が展示されている場所に、こんな表現はそぐわないのかもしれませんが、ギャラリーはとても幸せな気持ちがあふれた空間でした。
 突然の災害で命を終えてしまった動物たちが、今も涙を流して彼らを思い出す飼い主さんたちに対して、
「心配しないでね、今は素敵な場所にいるからね。」
と伝えているように思え、こうして文章にしていても涙があふれてきます。


 私が描いたRちゃんも、私の手から離れてから久しぶりに再会したら、強く自己主張しているように感じました。目の前にやってきた私に、まるで、こんなふうに言っているように思いました。
「ああ、久しぶりだね。盛岡で大好きなパパやママたちに会えたよ!
おうちに帰るの楽しみだよ。」

2次元の世界に描かれた絵が、3次元・4次元を超え、心と心を行き来しているのを実感させられた日でした。




2012年4月22日日曜日

震災で消えた小さな命展⑥



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(Rちゃん たかぎなまこ)


盛岡での展示が20日から今日までの3日間開催され、被災地東北での巡回は今日が最終日。搬入や会場で協力していただいたボランティアの方、星野さん、さくらいさん、うささん、有難うございました。

そして、私が担当させていただいたワンちゃんを申し込みされた方も
今日、会場へおこしいただいたそうです。同じ県内と言っても遠い、盛岡の会場までいらしてくださって、本当にありがとうございました。


作品の中によみがえった動物たちは、これからもう少し長旅をするのですね。きっと、すぐに戻ってきてほしいと思われた方もおられるでしょう。

 でも、あと少し、とても大切なことを伝えるための長旅です。
被災しなかった人々の胸に、あの震災でこんなに愛らしい命たちが惜しくも消えてしまったことを伝え、この先このような震災が起きた時、少しでも救かる命が増えることを祈る旅です。
もう少しだけ、帰るのが遅くなるけど、待っていただきたいと思います。




2012年4月15日日曜日

震災で消えた小さな命展⑤



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13日から石巻市で始まり、今日が最終日です。
朝日新聞の夕刊(全国版)には上の写真と記事が載ったそうです。
ひろかわさん、うささん、搬入や取材などおつかれさまです。
(偶然私の作品がひろかわさんの肩越しにちゃっかり載っていました!このような形で、ひろかわさんやうささんと一緒に写してもらえて、光栄です。)


今日は日曜日で、私は庭の草抜きなどをしていて、思わず声をあげました。
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(ゴールデンベル)

待ち望んでいた花でした。
実は、この、ひっそり地味な水仙「ゴールデンベル」は去年の3月末に植えたのですが、今シーズンのあまりの寒さにしんなりしていて、花をあきらめていたところでした。
梅や桃がずいぶん遅れて咲き、桜も1週間から10日遅れた今年の春だったので、庭の一角にゴールデンベルが咲いているのを見つけたら、
なんだかじんわりと足元が温かくなった気分でした。

展覧会が開催されている東北の地は、まだまだ春の兆しは無いと思うのですが、あと半月後には桜が咲くのですね。




2012年4月9日月曜日

春を感じる季節



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(赤城山麓の早春)

震災で消えた小さな命展ー多賀城での展示が終わりました。
搬入と搬出作業をしていただいた、たくさんのボランティアの皆さん、タカタさん、うささん本当にお疲れ様でした。有難うございます。

南関東では桜が満開となり、私も近隣の公園へ桜を観にいきました。
桜の木だけでなく、黄色い水仙の仲間や、花にらが華やかに咲いていて、
草や土の匂いが立ちのぼっていました。

この季節の、あふれるようなエネルギーを見ると、
毎年私は何故か季節をさかのぼり、もう一歩手前の早春が残る場所へ
出かけたくなってしまいます。
まだ芽吹き前のベージュ色の野山に、ぽつんと咲く山桜、コブシ、マンサクを見たくなるのです。
谷間を埋める雪が、静かに溶ける音が聞こえてきそうな山へ出かけたくなるのです。

でも、考えてみると、今の季節に限ったことじゃないかもしれません。
季節が過ぎようとすると、「ちょっと、待って。」とついつい思ってしまい、一つ前の季節をもう一度感じてみたくなる、そんなワガママな思いなのかもしれません。その季節のさなかに居る時には気づかないくせに、勝手なものですね。




2012年3月30日金曜日

震災で消えた小さな命展④



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(奥羽本線車窓から 津軽平野)
今日から、いよいよ被災地での展覧会が始まりました。
宮城県の南三陸町です。
昨日の搬入作業は、うささんと友人の方、計三人でしていただいたと聞きました。
本当に、本当にお疲れ様です。
どうも有難うございました。


先週、5日ほど北東北を旅する機会がありました。
被災地とは離れた秋田や青森の日本海側でした。
雪原を走る列車の窓から、雪でつくられたみたいに真っ白な
白鳥が飛んでいる姿を見つけ、はっとしました。

白鳥たち渡り鳥は、10月末頃から現れて、3月末頃には北の大地へ
帰って行きます。
去年の今頃帰っていく白鳥は、東北の湖沼で恐ろしい震災を経験
したのですね。鳥たちは、どんなふうに感じたのでしょう。
そして、どんな思いで日本を離れて帰ったのでしょう。


去年、震災を経験した白鳥が、また今年東北の湖沼を訪れたの
かな…と思いながら、大きな鳥影を見ていました。




2012年3月17日土曜日

震災で消えた小さな命展について③



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(尼ヶ坂サロン展示風景うささん撮影)

今日から、名古屋でスタートしました。
昨日は、うささんと妹さんご家族とお友達の方々、搬入作業、大変お疲れ様でした。有難うございます。

せっかく展覧会がスタートした日なので、何か良いニュースはあるかな、と思って見てみましたが、なかなかありません。
一つあげるとすると、私の住む千葉県で、千葉市が東北被災地の瓦礫の処理を名乗りでてくれたというニュースでした。


受け入れてくれるところが無く、積み上げられた被災地の瓦礫の山をテレビの画面で見ると、なんとかならないかなと考えていました。
だからと言って、私のうちの庭にどうぞとはいきません。


放射能の問題で、受け入れを拒否する人々がいることを責めることは出来ませんが、出来る限りあの山を被災地から減らしてあげられたら、と思う人も多いと思います。


昨日、展示を終えたうささんから聞きました。
作家の皆さんが作品にこめた小さな命の存在が、ギャラリーの空間にひしめいているんだ、と。

被災地の瓦礫の山には、(見えなくても)そんな命のかけらが混じっているのかもしれないのだから、協力して、早く大気や地中へ還してあげられたらいいなと思いました。




2012年3月7日水曜日

震災で消えた小さな命展について②



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展覧会の案内状が出来上がり、いよいよ申し込まれた皆様へもお知らせが届くことになります。この案内状は、参加作家のお一人が募金がわりに作ってくださったと聞きました。本当に感謝したいです。

 
 案内状に描かれたうささんの絵。動物たちがそろって、じっとこちらを見ていました。
何か深い想いを抱えているようで、見ている私に様々なことをなげかけてくれます。

 
 私は、大きな災害や事故などの被災をしたことがありません。
けれど、とても大切な人間、とても大切な動物それぞれとお別れをしたことがあります。両方とも、突然でした。本当に、あっという間に旅立たれてしまったのです。
 どちらの時も、私は、哀しみの袋の中にすっぽり埋まって生活していました。それは、冷たくない雪の中のようで、周囲の音をシャットアウトし、移ろう時間を見ずに、視界も閉ざした袋の中でした。
 仕事に出かけるなどで外に行く時は、全く違う仮面をかぶって普通の日常生活をこなし、帰り道には再び袋の中へ急いで入っていくのです。
一体どのくらい、そのような生活をしたのかは憶えていませんが、自然に袋の中へ入る時間が減っていき、現在に至っています。


 大切な動物との別れでは、旅立ってしまった魂が、異なる体で生まれ変わってくれたのを実感したことで、哀しみは初めて過去になりました。
 動物は人間と比べて魂があまり汚れていないので、旅立っても短い時間で戻ってこれるのではと思うのです。 人間の魂の場合は、この世でいろいろと染み付いてしまった観念を、丁寧に洗浄したり乾燥したりしなくてはならないから、生まれ変わるのに時間がかかるかもしれません。けれど、長生きしていればいつか再会できるかもしれない、という気がするのです。


 案内状の中の動物たちは、ただ静かにこちらを見ています。
どんな言葉が聞こえるのか、耳を澄ましてみようと思います。





2012年2月25日土曜日

なまこという名前-②



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「憂きことを 海月にかたる 海鼠かな」
 

江戸時代の俳人『黒柳召波』の句で、初めて読んだ二十年前から忘れられない好きな句です。ペンネームを考えたときに、この句も頭によみがえりました。
 なんとも言えない不思議な世界がおかしいのですが、句の意味を無理やりに想像して解説した書の中に、
『ナマコは人間に食べられてしまうから、食べられたり命を狙われることの少ないクラゲに愚痴を言っているのかも』
と載っていたのも忘れられません。


けれど、クラゲもそう安穏としていられません。
特に近年、日本沿海で問題にされている大クラゲは、
漁師さんたちに嫌われ、憂き目に遭っています。
昨年の秋、九十九里の砂浜に、大クラゲの切れ端が
たくさん流れ着いていました。大クラゲが網を破ったり,網にかかった魚に毒を及ぼしたりしてしまうため、対抗措置として粉々に切り刻むのだと聞いたことがあります。


あちこちを鋭利な刃物でスパッと切られ、波打ち際に
一列になって散らばる体を見たとき、私は体の中心をつねられた気分でした。


ナマコはといえば、食べられる種は一部のみなので、大多数は憂き目に
遭わないかと思いきや、そうでもありません。
三年ほど前訪れた沖縄の渡嘉敷島で、シュノーケリングをしていた時です。
タマナマコという大きなナマコを海底からつかみとり、放り投げて遊ぶ若者を見つけました。
「ナマコがかわいそうだよ」
と注意したらすぐに止めましたが、彼らは不思議な表情で私を見ていました。彼らにとって、ナマコという生き物は、石ころやビーチボールに等しかったようです。


だから現代では、

「憂きことを 海月と海鼠で 語り合い」
といったところでしょうか。


クラゲもナマコも生きていくのが大変です。




2012年2月18日土曜日

雪のつもりかた




いつだったか、ムーミンの物語のある場面に、
「雪は空から降ってくるのか!地面の下から生えてくるのかと思ったよ!」
というムーミントロールの言葉を読み、とてつもなく心が揺すぶられたのを思い出しました。
 
秋の終わりに冬眠に入り、春に目覚めるムーミンや動物たちは、
雪が空から落ちて積もっていくことをほとんど見ないのでしょうね。


そのようなことを想い、お話を書かれたヤンソンさんを尊敬します。
寒くて大変な冬を、眠ることでやり過ごしている彼らにとっては、
どっかり積もる雪も、命を脅かす魔物かもしれません。

 
雪が好きな私は、以前はただただ嬉しかったのですが、
今、雪に脅かされている人々や動物がいるのかと思うと、
手放しで喜べなくなりました。


どうか、荒れて痛手を負っている被災地に雪の苦しみまで
のしかかりませんように、と祈ります。




2012年2月13日月曜日

なまこ という名前-①



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「どうしてなまこなんて奇妙な名前にしたの?」よく聞かれます。
「なまこって美味しいのかな、見た目気持ち悪いけど。」そう言われることも多いです。

わざと奇妙な名前にしたわけではありません。
ナマコを食べたこともありません。


どう説明したらいいのか、難しいので、ずいぶん前に書いた詩の様なものを
こちらへ載せさせていただきます。

   
*なまこを讃えるうた


ヒトという生物と正に対峙する生きもの

エネルギーはほんのひっそりとした量のみ
せかせかと動かず 
自らが生きていく為に加害をしない


被害を受けたなら その部分は思い切ってあきらめ 争わない


思考能力も感情も全身にくまなく散りばめられている
だから一部を奪われてもダメージは少ない


脳も心臓も骨格も全身に散りばめられている
だから脳死も心肺停止も骨折も無い


長けたものにまかれず 他をまきこまず
体を半分奪われても 
怒らず ゆるりと再生
内臓をすべて差し出しても 
辛抱強く復活


体は無駄に肥らず 細らず
存在自体が 
食して排する行為自体が 
その周囲を美しく保つことにつながる


これほどまでに ヒトという生物と相反する生きものを知らない



日々海を護ってくれているナマコさんたちに尊敬する思いをこめて、
図々しくも名前にお借りしました。