2012年5月20日日曜日

震災で消えた小さな命展⑧



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(台湾-台北 誠品書店B2ギャラリー・うささん撮影)


小さな命の絵たちが海を渡り、台北での展示が始まりました。
ここでも、ボランティアの方々が搬入作業などで集まってくれたそうで、本当に感謝です。
どうか、台湾の方たちにも命の等しさが伝わりますように…。


 私は、台湾という国へ行ったことがありません。
けれど、一度だけ眺めた事があります。
ずいぶん昔の若い頃の話ですが、日本の最西端の与那国島に数ヶ月
アルバイトをしながら住んでいたことがありました。
民宿の住み込みバイトやサトウキビ畑の作業などをしながら、
島の自然を体感する、今思えば若いエネルギーに満ち溢れた日々でした。
島のおばあちゃんが、
「あたしが若い頃は、ヤマトー(日本国)より台湾の方が親しかったさ。
 それに、手漕ぎの船で台湾と行き来してたからね。
 だからあたしたちは台湾語だって覚えてるさ。」
と言っていました。
当時の私は、
「ほお!」
と感心したものの、あまり深く考えませんでした。
そんなに近いのか~、くらいにしか思わず、実際、島の高地から眺めた台湾の島影に感動したくらいでした。後から聞きましたが、台湾はいつも見えるわけじゃなく、気象条件によって偶然見えたようです。

 沖縄が、琉球から日本の沖縄県になってからたった40年しか経っていないのですね。
最西端の与那国のおばあちゃんにとって、日本の本土はつくづく遠かったのだろうな、と今になってしみじみ思います。精神文化面でも、実際の交流も。
現在、日本と台湾は正式な国交がないと聞きました。なんとも変な話です。
こんなに近くて、親しい気持ちを抱く人がたくさんいる隣国と正式な国交がないとは。
でも、考えてみれば国交なんてそれほど重要じゃないのでしょうか。
国同士ではなくて、人同士が付き合うのですから。

 
 東日本大震災後、全世界で一番たくさんの支援をしてくださった台湾。
寄せられた巨額の募金は、生活水準を考慮して計算すると、更に大きな額に膨れ上がります。
助けてもらった感謝を忘れず、相手方に何かあったらすぐに手を差し伸べられる自分でありたいな…と思います。





2012年5月13日日曜日

怖い 怖い 渦



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(十数年前の5月・三宅島にて)


5月は、1年で1番私が好きな月です。
ゴールデンウィークをバタバタと過ごし、平常日課が戻ってきたと思ったら、5月はすでに10日も過ぎていました。

先日、茨城県で恐ろしい竜巻が発生した映像をテレビで見ました。
竜巻は、本当に怖いです。

でも私は、幼い頃から大人になっても、そんな恐ろしい竜巻を、一度でいいから見たいと思っていました。
恥ずかしい話ですが、オズの魔法使いのように、あの渦がどこか不思議な世界へ通じているような気がしていたのです。

 そんな私のバカな思いを打ち砕いたのは、十数年前に三宅島を訪れた旅の時。まだ噴火する前の三宅島を、フェリーに自転車をのせて行きました。
 島の長い坂道を登って行く途中、突然の雷雨に見舞われました。
大粒の雨と稲妻…落雷が怖かったので、自転車から離れ、どこかに身をかくそうとして周囲を見渡した私の目に、灰色の巨大ホースが立ち上がっているのが飛び込みました。
それは、海面にそそり立つ竜巻でした。

身の毛がよだつという言葉を、身をもって体験したのはそれが初めてでした。震えながら、前方でうねる2本の竜巻を見上げ、私は足がすくんで動けませんでした…。
 こちらに載せた写真は、その時、たまたま手に持っていたインスタントカメラで撮ったものです。身の毛がよだつ思いをしてから、その後ずいぶん時間が経ち、竜巻が海上を遠ざかりつつあるのを知ってから撮影しました。


 竜巻は、まきこんだものを不思議の世界になど連れて行ってくれません。
巻き込まれた命は奪われるし、通り道にあったものは壊され、地上にたたきつけられてしまいます…。
 あの時以来、私の竜巻への憧れは、あの黒々とした空へ吸い込まれて、どこかへ消えてなくなりました。

大好きな5月に、もう、あのような痛ましい災害が起きないように、
祈っています。