2012年12月31日月曜日

お正月さまを迎える準備



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(南房総市 小松寺のハート模様鯉)
冬至が過ぎ、クリスマスが過ぎ、いよいよ2012年が終わろうとしています。
年を送り迎えするときには様々な決まりごとがあって、面白いなと思います。
以前は、正直に言うと「面白いな」より「めんどうくさい…」と思っていました。
古いしきたりなど、つまらない迷信にしばられた人々の遺産であり、
形ばかりにすぎない慣習でしょ、と否定したい時期がありました。
 山の神様、水の神様、田の神様、そして年神様…。
厳格な神様がそこら中にうようよいらしたら、
いつも見張られていて気が休まらず、窮屈だと思いました。


 でも、ある時からそうは思わなくなりました。
神様たちは、いつも私達を見張って手厳しく眺めて
いるわけじゃないようです。
 この世を去って長い長い時間を経たご先祖様たちの魂は、
祖霊神となり、山や海、田などあらゆる場所で私達を見守る神に
なってくれるらしいのです。
 ご先祖の人間だけでなく、家族として別れた動物たちや心の支えになった
植物たちも、その大らかな神様に含まれている、と私は信じています。
 

 お正月は、自分がこうしてここに生きていられる有難さや幸せを実感し、
見守ってくれる存在に感謝する時間に思えます。だから、形ばかりに思えた習慣は、
自分なりにかみくだけばいいのでした。
 正月のお飾りをギリギリに飾る『一夜飾り』はよくないからと、まだ掃除もすませていない
ホコリだらけの玄関へあわてて飾るより、大晦日までそうじが延びてしまっても、
しっかりきれいにしてから神様を招く目印をかかげる方がいいかもしれません。
 

 そう言う私は、元旦早々から旅行に出るために、大晦日までかかってばたばたと
荷物の準備や正月の準備をしている『ギリギリ人間』です。
祖霊の年神さまも、「あいかわらず、ゆとりがない人生を送っているな…」
と眉をひそめるかもしれませんが、にやっと笑って応援してくれる気もします。
(神事にも宗教にも疎い私の身勝手な想像です。)


 2013年が、おだやかな年となりますように。




2012年12月21日金曜日

冬至



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一年で一番陽が短い日。
ただでさえ太陽が照る時間が少ないのに、
今日は昼頃から曇天でした。

毎年、冬至を迎えると私は嬉しくなります。
早まる日暮れが折り返し地点を過ぎ、今から太陽は春に向かって
長くなっていくのだと思うと、嬉しくなるのです。
 だから、今日はなんとなく大晦日で明日が新年に
思えるのでした。
天文学的に言えば、一番早い日の入りと一番遅い日の出時刻は
微妙にずれ、冬至の日がピークではないようですが、
気持ちとしては、明日から太陽は少しずつ早く出て遅く消えるという
イメージです。

毎年必ず母がかぼちゃ料理を作り、ゆず風呂を沸かす冬至の夜。
海で拾ったガラス片と貝を組み合わせたろうそく立てで、
やわらかな光を灯しました。




2012年12月11日火曜日

大好きな丸いもの④



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先週末、この冬初めて雪のある場所へ出かけてきました。
群馬県の万座温泉です。


 スキーシーズン直前の閑散期だったので、静かな湯治旅館で
ゆっくりとお湯につかることが出来ました。
雪で覆われた地面をそっと歩き、
白銀の山々を眺める楽しみも味わいました。
写真の丸いものは、草木が生えない温泉湧出地帯の
砂礫地に、強風で吹きつけた粉雪が創った模様です。

 
 母が福島の豪雪地帯出身のおかげで、私は幼い頃から
家屋の1階が埋まるほどの積雪を体験する機会に恵まれました。
雪に関する興味深い実体験もたくさん聞かせてもらって育ったので、
雪の美しさや楽しさだけでなく、つらさやおそろしさも心にしみつきました。
面白くてドキドキして何度も「その話して!」とせがんだ話が幾つかありました。
その中の一つ。
母が6歳の時、4歳年下の弟が食べる分の芋を、つい横取りしてしてしまいました。
戦後まもなくの、いつも空腹だった時代です。
消えた芋を不審に思い、祖母が母にたずねましたが、
幼い母は「オラ、しらね。」としらんぷり。
結局すぐに嘘はばれ、烈火の如く怒った祖母が
「うそつきは、絶対にゆるさねえんだぞ!」
と一喝し、母を野外の雪原へブーンと思いっきり放り投げたのでした。
二メートルほどの積雪の中へ母はスポンっと埋まりました。
真っ白な視界の中、どちらが上か下かもわからなくなり、とてつもない不安と後悔に包まれたそうです…。
きっと、どんなに泣き叫んでも、声は雪に吸いとられてひびかなかったでしょうね。その後どのくらいで、誰がたすけてくれたかは憶えていないようですが、母は、絶対ウソはつかないと心に誓って、今日まで正直者で生きていると胸をはるのでした。


 私も、あそびで雪の中へ倒れこみ、埋まってみたことがあります。
しんとしているのに、チリチリ…というかすかな音が
聞こえるような、不思議な空間でした。
雪原の丸い丘の上を、小人になって上り下りしたい気持ちで、
地面ギリギリにしゃがんで写真を撮ってみました。