2013年12月29日日曜日

うまにのったサンタさん



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 ずいぶん昔にいただいたお気に入りのサンタクロースです。
ねじを巻くと、白いお馬さんがひょこひょこ飛び跳ねるように進みます。
「サンタさんが、馬にのっている?それにどうして鼻が赤いの?」
と不思議な思いがわきおこります。

 クリスマスを無事に終えて、トナカイとわかれたサンタさんが、自分の家に帰る時に馬に乗せてもらっているのかもしれません。鼻が赤いのは、ワインを飲んだから。
 ヨーロッパの(イギリスかどこか?)のクリスマス風景をテレビで見た時、イブの夜に訪れるサンタさんをもてなすために、ツリーの下にワインを注いだグラスがありました。
その隣には、トナカイさんたちのためにお皿にニンジンがのっています。
「大変だったでしょう、さむかったでしょう。食べて飲んでいってね。」
というねぎらいの気持ちをこめておいてありました。


 私はそれを見た時、子どものころ自分はサンタさんにお願い事ばかりしていたのに、
彼らをもてなしたりねぎらったりする心がなかったことを思い知りました!
 大人になった今は自分がサンタさんにお願いすることはなくなりましたが、お願いごとをする子どもに会ったら伝えています。サンタさんとトナカイさんへのささやかなプレゼントを置いておくといいかもよ、と。

 
 鼻赤のサンタさんは、あと2日でうま年をつれてきてくれます。
2014年が、おだやかで素敵な年になりますように。




2013年12月21日土曜日

震災で消えた小さな命展・・・25



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〈毎年かざる小さなツリー)
 4日前の水曜日、小さな命展の活動がNHK〈インターネット)で国際放送されました。
私はリアルタイムでは見られませんでしたが、アップされた動画を見ることが出来ました。
消えた小さな命のことを海外の方たちにも知ってもらえたこと、海外の参加作家の方たちにも見てもらえることが嬉しいです。
 
 それから、岩手県宮古市の方たちから心のこもった感謝状をいただきました。命展パート2に参加した作家全員へ、一つずつ色紙を丁寧につくってくださったのです。中には絵になった子たちや会場の写真とメッセージがはってありました。本当にありがとうございます。

 
 動物と人間の付き合い方、位置関係は国によってもずいぶん異なるかもしれません。
動物と一緒にゆったり座れる車両を連結した列車が走る国、動物実験が禁じられている国…。
そうかと思えば、かなり劣悪な環境で毛皮を量産していたり、動物を虐待するレジャーを楽しんでいる場所がある情報も、インターネットを通じて入ることがあります。

 
 けれど、やはり国や場所ではなくて各個人の心もちしだいです。私たち日本人も、ある国の人々から見れば「野蛮」と思われていますが、国単位でそんなふうに思い、思われるのはそれこそ乱暴な話です。
 命展の活動でうささんが言う「一人でも多くの人が気づき、ほんの少し思いやることで一つでも多くの命が救える」言葉は、まさにその通りだと思います。
 膨大なネットの情報の中に、国際ニュースとして流れた小さな命のレポートは、見た人の心に必ず何か残してくれる気がします。ニュースラインのサイトにアップされている数日間、見てくれる人が地球のあちこちにいることを想像し、嬉しくなりました。





2013年12月2日月曜日

においの記憶



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(嵐の後の九十九里浜)
突如、ある匂いによって遠い思い出に引き戻されることがあります。
この香だとあの風景を思い出す、とわかっているものもあるのですが、
一体自分は何故この香に反応し、遠い記憶を思い出したのかな?
と不可解な時もあります。
 
 南風が強かった数日前、その不思議な匂いに会いました。
花か草木の匂い?が、なまあたたかい強風の空中を断片的に飛んできました。
匂いによって引き戻されたのは5歳頃、近所の家の庭で遊んでいた風景。
その家は庭が広く、木がたくさんしげっていたので、家屋自体はあまり見えません。
 立派な門の横に幹の太い巨木が生え、木を囲むように低い塀をめぐらせた
小さな広場がありました。木のそばに椅子が置いてあり、5歳の私は近所の友達と一緒に主のおばあさんとお話していました。
おばあさんは、幼い私たちに、美味しいお菓子と面白い話をプレゼントしてくれたのですが、残念ながらどんな内容だったか憶えていません。
 はっきり憶えているのは、おばあさんの白髪が銀色に輝いていたこと。
そして、巨木に洞があったこと。私の身長では首をそらしてやっと見えた穴。
「あの中には何があるのかな?」
それを見上げるとなんともいえないワクワクをかんじました。

 
 5歳の時に居たその町から、私はたくさんの引越しをしているので、おばあさんとも近所の友人とも音信不通になりました。何年か後、大好きな童話『長靴下のピッピ』を愛読した時、その庭先の洞のある木を思い出しました。ピッピの庭にある「レモネードが成る木」が思い出させてくれたのです。それから今までずいぶん長い間、この記憶はホコリをかぶったままでした。

 
 そんな思い出へ引き戻した匂いは、あの巨木の葉か幹か花の匂いだったのかもしれません。
「あの木は、何ていう名の木だったのかな?」
母に当時のことを聞くと、おばあさんのご主人が病気で寝込んでいたこと、子ども好きで私や友人をしょっ中招いてくれていたことは憶えていましたが、あの木の名前はわかりませんでした。
 台風なみの低気圧が暴れまわった先日、大気中には、遠い場所から運ばれた匂いが撹拌されていたので、普段は香らない匂いもちぎれ飛んできたのでしょうね。
その正体がつかめず残念です。




2013年11月16日土曜日

弱くて強いもの



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(弱くて強いマツ)

 この一ヶ月ほどを何かとゆとりなく過ごしてしまい、
秋を見ぬまま冬を迎えようとしていました。
一度は秋に触れたいと思い、先日群馬県の山へ出かけました。
紅葉シーズンはほとんど終わりかけ、スキーシーズン前の静かなひととき。
こんな時期だと、土日でもそれほど登山道や温泉宿も
混雑していないので、ねらいめでした。


 草津白根山から万座温泉までの6キロ少々の道のりは、
刈払いもされていて、よく整備されています。
麓に近い木道には自然観察のために
様々な説明板が設置されていました。
硫化水素ガスがあちこちで発生している火山帯砂礫地の斜面で
『弱くて強い植物』というタイトルの案内板を見つけました。
周辺に生えていたマツ科のオオシラビソについての説明です。
「このマツは環境の良い場所では他の植物に負けてしまう『弱い
植物』ですが、ここの硫化水素地帯のように植物が生育しずらい
厳しい環境には生きることが出来る『強い植物』なのです。」

 
 生物は常に生存競争をして生き残っていくといわれますが、
競争するよりゆったりひっそり争わずに生きる方がいいよと
思っている生き物もいるのでは?
負けたから、仕方なく条件の悪い場所へ逃げた…それだけじゃない
気がします。
『弱くて強い』という案内板のタイトル、何気ない言葉ですが、
いいなあと思いました。





2013年10月12日土曜日

ヒトひとりの力



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(サースフェー・氷河)
 スイスのサースフェーで、かなしい事故があったことを聞きました。
先月行方不明となっていた日本人男性が、氷河で亡くなっていたとのことでした。

私も8月のスイス旅行で、フェー氷河を間近に見ています。
ロープウェーのシュピールボーデン駅から氷河に沿って登山道をたどると、
氷河にもっと近づいて、触れてみたくなりました。
そして途中、ここを降りたら氷河に接触できるのでは?という小道を見つけたのです。
降りようとすると、同行していた友人に止められました。
「あの地面に見える場所の下に、亀裂が無いってわかるの?」
そう言われてみれば、私の力ではそんなことわかるはずもありません。
小道に見えたのは水が流れた跡なのかもしれない…それに、しんとした世界の中で
時折ピシッザザン…という何かが崩れる音が響いていました。
 
  私は、つい、自分の力がどれだけ小さいかを棚に上げてしまい、
「あそこまで行って見たい!」と思う気持ちで進んでしまうことがあります。


ヒトが、何の道具も持たず体一つである時、その運動能力は本当に小さくて無力に等しいと頭ではわかっているのですが、目の前にすごい景色があると忘れてしまうのでした。
過去に何度も、海でシュノーケリング中沖に行き過ぎたり、山で疲れきって青ざめた経験をしているのに…反省があまりに足りないのです。


自分は友人に止めてもらったからこうして無事にいるけど、事故はいつでも起きる可能性があるのを思い知りました。本当に、この先気をつけようと心に決めました。
美しい自然の中にかなしみが刻まれないよう、祈ります。




2013年10月3日木曜日

震災で消えた小さな命展・・・24



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(お迎えでだっこされたYちゃん)
岩手県宮古市で、直接絵を渡せたのが嬉しかったので、もうお一人の方にもお会いしたいなと思い、宮城県石巻市のお渡し会場へおじゃまして来ました。
 お渡し時間の一番乗りで来てくださったAさんご夫妻は、マルチーズのYちゃんのかわいい写真をカバンから出して見せてくれました。
ご夫妻に抱っこされたYちゃんが、今までと違った表情で嬉しそうに見えました。私も、本当に嬉しかったです。

 
 小さな命展パート1の時私は、様々な事情で絵のお渡しに参加できなかったので、パート2の二箇所で参加出来て本当に良かったと思いました。
自分が描かせていただいた小さな命だけでなく、たくさんの命たちが飼い主さんに迎えられて帰っていく姿に立ち合わせていただきました。
動物たちの表情が、そわそわしていたり、得意そうだったりと変化することも実感しました。
『絵』という物なのですが、物ではなくて本当に魂がこもっているから、そんなふうに感じられるのですね。

 
 石巻にもうかがえて、本当に良かったです。夜行バスの旅で、石巻市のどこも歩く時間もなかったのですが、大きな思い出になりました。




2013年9月26日木曜日

震災で消えた小さな命展・・・23



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 岩手県宮古市をたずねました。
命展2の最後の会場で、自分が描かせていただいた絵をお渡しすることが出来ました。宮古で被災されながらも、命展を支えてくださっている方たちともお会い出来て、嬉しかったです。


 写真の景勝地は宮古市田老町にある「三王岩」です。
私はここを訪れるのは今回で3度目でした。
初めてきたのは、まだ若い頃、電車やバスで東北を巡った時。
2度目は、震災の1年半前で、父母を連れて行った車で北東北旅行。

 岩を望む展望園地も破損することなく以前と同じようにありました。
岩があの日に見ていた恐ろしい風景を思うと胸が痛みます。

命展2はこの会場で終わりですが、自分に出来る支援が何かありましたら、
また参加させていただきたいと思っています。




2013年9月17日火曜日

震災で消えた小さな命展・・・22



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(スイス・ミューレンで出会ったかわいい家に住むウサギさん)

 2度目の東京展が今日の夕方までで終了し、搬出を終えたと聞きました。
作業をしてくださった方たち、そしてパート1に続いてあたたかく会場を提供してくださった
一口坂ギャラリーの藤代さんに感謝したいと思います。
本当に、有難うございました。

 台風が暴れた連休でした。水害で泥水に埋まった町。竜巻で屋根が消えた住宅。
「まさか自分のところがこんなことになるなんて…」
と嘆く方がテレビに映っていました。
つくづくそう思います。自分がそういう目に遭うと思って毎日生きている人は少ないと思います。
台風のように、ある程度構えて備えられる災害でも予想外な大惨事になりますから、
予測できない地震など、まさに想定外です。

 「震災で消えた小さな命展」にいらして、
「自分のうちにも動物がいます…絶対守れるように考えなくては…。」
と話してくれた方は、少なくとも会場に来る前よりも、いざという時への心構えが手厚くなったかと思います。すぐ出せる所に家族(もちろん動物の家族も)の必需品をまとめ、少しでも持ちやすいように…ちょっとした工夫が速やかな避難に結びつくかもしれません。
 日ごろ、大切なものをどう守るかをシュミレーションしておかなくちゃいけないと思い知りました。

 
 小さな命の絵は、いよいよ最終会場の岩手県宮古市へ向かって行きました。
宮古から先は、それぞれの家に帰って行くのですね。



 




2013年9月7日土曜日

虹の中



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 8月の少ない雨量を取り戻すように、私の住む地域では9月に入ってから豪雨が続きました。

 8月は、いつものんきな私にしては珍しく用事が重なり、あっという間に過ぎ去ってしまいました。作品を創っていた前半、あまりの猛暑に夏は終わらないのではないかと思っていました。
旧盆から後半にかけてはスイスへ行き、日本の暑さをすっかり忘れかけていました。
ようやく涼しくなった夕暮れ、鈴虫の声に9月を実感しています。


 先日、激しい雷雨の後に見事な虹を見ました。太くはっきりとした虹でした。
虹の向こう側の景色が美しく染まり、あの中に立てばすべて虹色に見えるのでは!とドキドキするような鮮やかさでした。カメラを持っていたら撮影できただろうなと思います

 
 写真は、スイスのシルトホルンという山にロープウェーで登った朝出会った、ブロッケン現象です。虹の輪の中に、私自身の影が長い手足で現われました。
 以前、日本の山の上でもみえたことがあったのですが、今回は長時間はっきりとみられたので、私の古いカメラでも写真におさめることが出来ました。
 この現象を科学的に説明出来なかった大昔、遭難しそうな時だったら恐怖して立ちすくんだろうと思います。
 でも、どんな原理だとわかっていても、とても不思議な荘厳な気持ちになりました。嬉しくて大興奮の気持ちもありました。虹の中に(影だけど)自分がいるなんてとても良いことが訪れそうで、幸せな気持ちになりました。




2013年8月7日水曜日

マユの主



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ひょうたんの葉のかげにくるりとマユをつくって羽化を待つだれかを見つけました。
多分、この種類の植物によってくる蛾で、『害虫』と呼ばれるだれかなのでしょうが黙認していました。なぜなら、このイモムシはなんともお行儀よく1枚ずつ葉をたいらげ、芯を食って枯らすようなことをしなかったからです。
 サナギでいる状態というのは、本当に神秘的だなと思います。そんな時、魂は一体どうしているのでしょうね。


 美しい絹織物を作る生糸をつむぐには、サナギになった蚕を釜茹でにして命を奪わなくてはならないのだ、と子どもの頃に聞いた時のショックは忘れられません。
それを聞いたのは確か小学2年か3年頃。ちょうど、アゲハ蝶の幼虫を自宅で育てるのが楽しくて、夜明けに羽化する瞬間まで見届けていた時期でした。
(現在の私は、ちょっとあの不気味な青虫と触れ合うのは出来れば避けたい気分です…。)

 
 大人になって、あるテレビ番組でブータンの養蚕農家を取材した一場面を見ました。
その農家では、蚕の命を奪わず、マユをやぶって羽化する蚕蛾が去ってから糸をつむぐそうです。破られたマユはあちこち分断された糸しかつむげませんから、滑らかな美しい絹織物にはならないそうですが、『ブラ』とよばれるそれらの絹布は味のある凹凸で素敵でした。

 インターネットで蚕・絹などの言語で検索してみると、
『自分で育てた蚕の幼虫がさなぎになり、蚕を殺すのはかわいそうだと子どもが言いますが、何かいい方法はないでしょうか』
という内容の質問がのっていました。
 蚕の命をたくさん犠牲にした上で絹糸が出来るという現実を、子どもに伝えなくてはなりませんが、同時に「滑らかな布じゃなくても、蚕が死なないのならこっちでいいか!」という人がいることも教えてあげたなら、幼い頃の私のような衝撃は少し和らぐかもしれません。



 





2013年7月19日金曜日

いるはずのない鳥



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 カンボジアで新種の小鳥が発見されたというラジオのニュースを聞きました。
ジャングルの奥深くではなくて、首都の建設現場で発見されたそうです。
今まで、その鳥を目にした人はいたのですが、
「まさかこのような場所に新種が生息しているはずがない…」
という固定観念が新種発見を遅らせたのでは?と伝えられていました。
 当事者の鳥たちは、にわかに注目を浴び始めてびっくりでしょうね。

 

 近所の水田に白い鳥が立っていました。
この鳥が白鷺の仲間だとすぐ解るのは、大体常識としてこの地域にこの季節にいる鳥で
あの大きさの白い鳥はサギでしょう…という予備知識があるからです。
でも、そんな予備知識がない子どもは、
「あ、ハクチョウがいる!」
と言います。私も昔はそうだったのかなと思います。

 

 大人は、脳みその中に増えていく知識・常識・固定観念に邪魔されて、損することも多い気がします。大人でもそんなものにしばられずに生きている人はたくさんいると思いますが、私は、しばられないぞと思いながらもついしばられているようで、時々がっかりしています。





2013年7月7日日曜日

梅雨明け翌日



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雨どいから受けた雨水をためてあるバケツに、
小さな蛙が2匹なかよくとまっていました。
プールサイドで甲羅干ししているような雰囲気でした。
バケツの水は、蚊がわいてしまう前に庭にまくのですが、
あまりにお行儀よくそろって動かないので、しばらく待ってからまきました。

 
 そういえば、七夕の日に梅雨明けしているのは珍しく思いました。
毎年、梅雨らしいぐずついた天気だったような…。
日中の猛暑も夜になると涼しい風が吹き、ようやくやわらぎました。
久しぶりに、七夕の夜に星が見られたので嬉しい気分です。




2013年6月30日日曜日

震災で消えた小さな命展・・・21



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(台南三越会場入り口)
 小さな命の絵たちが、再び海を越えて台湾へ行きました。
台湾南部の都市、台南での展示が25日からスタートしています。
命展のブログで紹介されている写真を見ると、素敵なディスプレイで飾られた立派な会場で開催されていました。有難く感謝したいです。 
 
 台湾でベジタリアンの食事を「素食」と言うと聞きました。
素食では動物性の食べ物を禁じるだけでなく、ネギ類やニラ、ニンニクなどの臭いが強い野菜も除くそうで、それらの野菜を五葷(ごくん)と言うそうです。
仏教・道教の教えの中では、五葷の野菜は刺激成分を含む為、人を興奮させたり欲を起こさせるものが多く、平常心で教えに身を投じることの邪魔になるらしいのです。
プラスの方に言い換えれば、五葷は人のエネルギーを増大させて元気にしてくれるのではないでしょうか。五葷が大好きな私としては、かばいたくなるのでした。
 特に長ネギは私にとって必須な野菜です。さすがに外出するときは控えますが、在宅時はこれでもか!というくらい長ネギだらけの食卓です。
 
 節度ある平穏な心と体を保つには素食をとり、五葷・酒類を排除しなくてはならないようですが、五葷・酒類ともにかかせない欲の多い私は、どうしたらよいものでしょう…。





2013年6月23日日曜日

暮れない夜



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(ゴーヤの赤ちゃん)
 2日前の夏至は、梅雨らしい雨降りで陽の長さを実感できませんでしたが、昨日は晴れ間が多く、遅くまで明るい夕空が様々な雲をのせていました。
 今年の冬に訪れたフィンランドでは、夏至のお祭りが行われているのと聞きました。
夏至を境に長くなっていく夜の時間、野外をうろつくワルイモノを追いはらう目的で焚き火を燃やし、祭りとして楽しむようです。
 世界のあちこちで夏至祭りは行われるようですが、白夜の北欧で明るい空を背景に大きなかがり火を焚く祭りを想像すると胸がざわざわします。
 

 幼い頃に読んだ『小さなスプーンおばさん』という童話。物語の中にはノルウェーの風土がたくさんしみこんでいました。パンケーキにたっぷりぬったコケモモジャムが美味しそうでしたし、しょうが入りクッキーというものは不思議で仕方ありませんでした。
 なによりあこがれたのは、ふだんは普通の大人なのに突如ティースプーンくらいに小さくなってしまうおばさんが、小さくなると動物たちと会話が出来ること。非常にうらやましくて、自分もそんな運命だったらいいのに…とあこがれました。でも、夏至祭りの大きな焚き火のてっぺんへよじ登った小さなおばさんが、危機一髪で大切な探し物とともに帰還する話にはヒヤヒヤして、小さくなるのは命がけだなと思ったものでした。

 いつか夏の北欧にも出かけて、湖と森の上に広がるなかなか暮れない夜を眺めたいです。





2013年5月31日金曜日

五月も終わり



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(物干し竿にアマガエル)
今年もホトトギスが渡ってきました。
先週、小雨が降る夜明けごろ、よく響く声で「到着した!」と
宣言しているようでした。
ホトトギスというと『夏は来ぬ』という歌を思い出しますが、
歌詞にはホトトギスが忍び音をもらすというふうにあります。
その夏に初めて聞くホトトギスの鳴き声を「忍び音」と言うそうですが、
あの甲高い声がなぜ「しのびね」?…と不思議です。


 さまざまな逸話があるホトトギスですが、一番記憶にあるのは、
日本昔話にでてくる「ある兄弟の話」です。
心がひねくれたしまった兄が、心優しい弟を疑って命を奪ってしまった末、
いつの間にかホトトギスになり、反省をして「オトウト恋しや!」と
泣き叫んで暮らすという内容でした。


 なんだか、ど~んと重くなる話で、取り返しのつかない罪というものを
幼い私は感じたのか、とにかく憶えています。
この昔話を聞いたのはまだ10歳くらい。
けれど、実物のホトトギスに出会ったのは20年後の大人でした。
「ホンチョンカケタカ!」
と聞こえる声を振りまいて、初夏に渡ってくるホトトギスに会うと、
もうすぐ梅雨だなという気持ちになるのでした。
 東南アジアからはるばる渡ってきたホトトギスは、ウグイスたちに托卵して夏を日本で過ごします。
 卵を托された上に、自分の卵を排除されてしまったウグイスたちはあの大きな声をどんな気持ちで聞いているのでしょうか。
 鳥たちには感情などなく、本能で卵を温めてかえしているのだからくやしいも悲しいもないはず、と言う方がいますが…自然の中は人間という生物になどわからない秘密があふれていると思います。




2013年5月23日木曜日

『なつかしさ』の縮尺



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(初夏なのに 庭で咲く秋桜)

 小学3年生の女の子たちが、1年生の教室が並ぶ廊下を歩きながら、
「うわ~なつかしい!1年生のにおいがする!」
「ホント、なつかしいね。」
と大人びた口調で話していて、はっとしました。
(この子達は、2年前がすでに懐かしいんだな…。)
自分が懐かしいと思う記憶は、一体何年前だろう?と考えました。
少なくとも、2年前はまだつい最近です。
5年前のことは? 懐かしいまでいっていません。
じゃあ、10年前くらいかな? 10年前も、随分前の話だけど
それほど懐かしくはないような気がしました。


 私の場合、約15年ほど前のことが「懐かしい」ようです。
年老いた父母などは、10年前のことを「この間…」と最近のように言いますから、
「懐かしい」は幼少時まで遡上します。
 

 三角スケールという物差しは、100分の1~600分の1までの6種の縮尺
で測れる便利な物差しです。
記憶の縮尺が、年とともに大雑把になってしまうのなら、三角スケールの縮尺を
どんどん大きくするように、細かな目盛は間引かれてしまうのでしょうか。
けれど、実際は物差しのように単調ではありません。
ある年代は100分の1縮尺で思いだせるのに、ある年代は600分の1程度しか憶えていない…
脳と心は、本人の無意識に思い出保存の優先順位を決めているのですね。


 私は日々の日記は書いていないのですが、旅に出た時に心が動くことがあったりすると、その思いを書き留めてあるノートが10冊ほどあります。物語や絵の素として大切な資料になります。
 そういえば、ノートを読み返してみると、記憶にない事件が思いがけず見つかります。
あと10年後、20年後にどれだけ自分の縮尺が異なっているのかちょっと怖いですが、
反対に、自分が書いたことなのに記憶になくて、新鮮な気分になるのも面白い気がします。




2013年4月27日土曜日

ウサギの耳みたいなラベンダー



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(アボンビューラベンダー)
去年の母の日にプレゼントした鉢植えを母が庭に地植えし、
今年も花を開いてくれました。
 母はラベンダーの香りと色が好きですが、香がとても良いイングリッシュラベンダーはうちの庭にはどうしても育ってくれないそうです。
残念ですが、気候と土が合わないのでしょう。
 けれど、このアボンビューラベンダーのようなフレンチラベンダーだと、
比較的暖かい気候の夏にも強いそうです。無事に根付いてくれました。
うさぎの耳みたいな花の形も、フレンチ仲間に多いようです。

 
 数年前の7月、ラベンダーだらけの北海道・富良野へ母と行きました。
私は富良野周辺を何度も訪れたことがありますが、大雪山登山へ直行していたので、
ちょうど花盛りのラベンダーは初体感でした。
 ですから、びっくりしました!
思いのほか広々とした斜面を埋める、紫の迫力。そして香り。
有名な農園だけではなく、公園や路肩などあちこちにラベンダーが植えられている
ので、富良野の町全体にあの素敵な香りがただよっていました。
あれだけたくさんの花を維持するのは、大変でしょうね…。
鮮やかな花のじゅうたんと香りの記憶をスタンプされ、今もよく思い出します。

 庭に咲いているうさぎ耳ラベンダーは、富良野みたいな香りはしませんが、
花に鼻を近づけてみると、うっすらといい香りがします。





2013年4月18日木曜日

震災で消えた小さな命展・・・20



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(雲の平原 四国地方上空)
福岡展が昨日17日までで終了しました。
私は、搬入の10日から14日まで行ってきました。
デパートのエントランスなので、命展を見ない人たちも
足早に行き交う場所でした。
ギャラリーと異なり、音や空気や外からの臭いなどが絶えず
混ざり合っては消えていくような流動的な空間でした。


 この場所で展覧会をやっているのを知らない人が目を止めた時、
まず何を思うのだろうと想像しました。
(何の絵?震災チャリティーと書いてある?犬?猫?)
そんなふうな表情で足を止めてくれる人には案内状を渡し、
これがどのような展覧会なのか説明してみました。
エレベーターホールでもあるその場所で、エレベーターが来るまで
待つ人の中にも、案内状を渡すとあとで寄ろうかな
という人がいました。


絵の中の動物たちは、東京展の時と異なる表情でした。
お隣どうしで話しているような雰囲気です。
(何だかにぎやかな場所だね、前も後ろも人が歩いてるよ)
パネルの裏表に彼らはぶら下がっているのです。
(いいにおいがする!)
目の前に、パン屋さんがあるのです。


 急ぎ足ですり抜けていく人々もいるので、
ドキドキ不安を感じた絵の動物もいたかもしれません。
けれど、寄り集まった彼らは、怖がっている仲間によりそって、
かばってくれているようにも感じました。


被災地から遠い西の都市でも、命展の主旨のタネがまかれたことを
信じたいと思います。




2013年4月7日日曜日

震災で消えた小さな命展・・・19



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(韓国文化院ギャラリーMi)
昨日、東京での第一回目の展示が終了しました。土日をはさめなかったことと、
時間が17時までだったことで足を運びにくかったと思いますが、たくさんの方に観てもらえたそうです。
私は、3日に高校時代の同級生と訪れましたが、昨日は搬出のお手伝いをかねてお邪魔しました。
(両日とも何故か暴風雨!旅行では晴れ女なのに…)

久しぶりに絵を見たとき、「あれ?何かかわった。」
と思いました。
自分が送り出した子だけでなく、他の作家さんが描いた子でも思いました。
いたずらっこに見えたのに、すっかり落ち着いてドーンとしていたり、
おとなしく見えたのに、自己主張が強く目立つようになっていたり…。
絵の中で彼らが生きているのをつくづく感じました。


たくさんのボランティアさん方に支えられて彼らは再び旅立ちました。
毎回ですが、感謝したいと思います。

福岡展示のスタッフが極端に足りないそうなので、
私もお手伝いに行く予定です。
福岡でもまた、彼らの違う表情が見られるのかもしれないので楽しみです。




2013年3月13日水曜日

震災で消えた小さな命展・・・18



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(こぼれた種から芽を出したコキアの赤ちゃんたち)
 
 今日から神戸での展示が始まりました。
東北巡回中絵の依頼が追加され、途中から合流した8つの命たちは、
他の仲間たちと仲良くなったでしょうか。

 展示していただいてる大丸デパートの神戸店は、
18年前の阪神淡路大震災で大きく損壊しましたが、
約2年半後に営業を再開出来たそうです。


 2年という年月は、短い時間なのでしょうか。
それともいろいろな事を成せる時間なのでしょうか。
東日本大震災から2年を経た今、メディアに映る東北の被災地や原発の跡地を
目にすると、焦燥感を感じる方たちも多いかと思います。
でも私は、確実に少しずつ良い方向へ立ち上がっていることを信じています。

 そして絵になっている動物たちが、かつて震災があった神戸でも
大切な想いを伝えてくれたらいいなと願いたいです。




2013年3月3日日曜日

うすあかるい国



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(イナリ湖のオーロラ Itoi氏撮影)

 ひな祭の今日、いたましいニュースが報じられていました。
昨日北日本に吹き荒れた猛吹雪が起こした事故…吹雪で車が立ち往生したことが
原因で、ほとんど方が自宅からすぐ近い場所で凍死されたそうです。
 幾人もの命が亡くなった中で、吹雪の中をお子さんをかばうように
抱きかかえたまま、命を落としたお父さんのニュースに胸が痛みました。
お子さんは助かったと聞きました。


 宮沢賢治の『ひかりの素足』を思い出しました。
あの話は、童話よりも宗教的な法話に近い要素が含まれていると言われますが、
無宗教の私にとっても、一度読んだら忘れられない話の一つでした。
 2人の幼い兄弟が、急激に悪化した天候の猛吹雪に巻き込まれ、
兄は弟を抱きかかえたまま、弟だけ命を落としてしまう悲しい話です。 
 
 けれど、ただ悲しいだけではない話です。
兄弟がこの世とあの世の合間をさまようその時間が心につきささります。
うすあかるい国(地獄のようなこの世とあの世の境目)から、
白く輝く国(天国)の入り口へ弟を見送る兄の気持ちはどんなもの
だったのか、初めて読んだ幼い頃の私は悲しさより恐怖を感じたのを
憶えています。
 現実の世界へ帰った兄が、旅立った亡き弟の安らかな顔を見て物語は終わりますが、
やりきれない気持ちより、しんとした静けさが心に訪れるのでした。


 昨夜の猛吹雪で命を落としてしまった方が、どうか安らかに
白く輝く国へたどり着けますように…。
お子さんをかばって自分だけ旅立ってしまったお父さんが、
うすあかるい国でお子さんと心を通わせたことを祈ります。




2013年2月17日日曜日

雪と氷の国②




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(イナリ湖のオーロラ・Itoi氏撮影)
オーロラの写真をいただきました。
私たちが空を仰いでいたすぐそばで撮影されたものです。
改めて、その美しさを思い返しているところです。

オーロラが動くことを聞いて知ってはいましたが、
実際に空を動く光を見ると、○○みたいな動き方をいう
例えが見つかりません。揺らいだり、なびいたり、
時にはスピードをつけてまっすぐ横切ったり…。
 

早くも、もう一度あの光の下へ行きたい気持ちがこみあげます。
オーロラの光を浴びると、そんなふうにとりつかれるのかもしれません。




2013年2月10日日曜日

凶器が走る道②



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(雲堤 シベリア上空)
猫を埋めた場所を間違って掘り起こさないように、球根を植えようと買いに行くと、立春を過ぎたこんな時期は、チューリップもムスカリもすでに芽を出している苗が売られていました。
まだまだ厳しい寒さが続くので、なるべく芽が出ていないポット苗を選びました。


 そういえば、十数年前の同じ季節、北海道の霧多布湿原近くでも、凶器の走る道を歩いたことがありました。
湿原の果てを点々と移動するエゾシカの群れにうっとりしながら、早朝の眺めに満足した私は、徒歩で2時間ほどかかる鉄道の駅へ歩きました。
 2月の初旬、昼でも氷点下の道路は、雪で出来た道のように白く凍りついています。
 うっかり樹氷などを見上げながら歩いていたら派手に転んだので、慎重に路面に目を落として進んでいくと、白い道に大量にこげ茶の毛が散らばっていました。目を上げて前方を見ると、とてつもなく大きな体の鹿が路面に横たわり、足をバタバタと動かしていたのです。
鹿のわき腹には、赤い血が楕円形ににじんでいました。

 呆然としてしまいました。車に跳ねられた野生の鹿を至近距離で見たのはもちろん初めてだし、鹿も、私という人間が近づいたことで白目をむいて暴れているのです。
携帯電話もその頃持っていません。公衆電話はおそらく駅までないはずでした。


 そんな時、有難いことに軽トラックに乗った地元の方が通りかかったのです。
何とか助けてあげられないか相談すると、返事は一言。
「昼前には道路の見回りがくるから、そのときに片付けてもらえるだろう。」
「片付ける?助けるではなく?」
走り去ったトラックを見ながら、私は思い出しました。鹿は、彼らに害獣と呼ばれているのです。鹿は、一歩も近づくなといわんばかりに首をもたげて私をにらみます。
 私は歩き出しました。ものすごい早足で歩きました。鉄道の駅舎が遠くに見え、電話ボックスにかけこんだのは、傷ついた鹿を見てから1時間半後。警察から野生動物保護管理をしている方に電話をしてもらい、地図を見ながら場所を説明し終えたのは、2時間後でした。


「もう、手遅れだったかもしれない。」
とても気が重かったのですが、結果を聞かなくては無責任ですから電話をかけました。
「あの後、現場に行ったら鹿の姿は無く、斜面に向かって足跡がありました。出血もほとんど無かったようですから、脳震盪と運よく軽い傷ですみ、自力で立ち直ったのでは。」
と返事をもらえました。
「良かった…。」と思いましたが、必死に森へ帰ったあの鹿が、元気に何も無かったように暮らせたかどうかは疑問です。
そして、白い道には今もあのような事故がたくさん起きているのでしょう。



 今思い返しても、目の奥がキンと冷たくなる出来事です。




2013年2月2日土曜日

凶器が走る道①



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(近所の畑 先週降った雪)
自宅から歩いて5分ほどの県道で、猫が命を落としていました。

 実は珍しいことじゃありません。田舎の県道は信号などほとんどなく、
夜間や早朝は恐ろしいスピードで車が走り抜け、夜の長い冬場は特に、
朝になって悲しい事故を目にすることが多いのです。
犠牲者のほとんどが、野良猫です。


 その日の早朝用があり、夜明け前の暗い車道へ出た私は、道路の中央線に横たわる白黒の毛を見つけました。
外傷が見当たらず、生きているかもしれない…私は道路中央で猫を抱き上げました。
温かかったので、気を失っているだけかも、と期待して路肩で様子を見ました。
 けれど、ほかほか温かい体なのに、猫の心臓はすでに止まっていました。
心臓の辺りをマッサージしましたが、かすかな音さえ立ててくれませんでした。
わずかな鼻血しか外傷がないのに、おそらく私が通りかかるほんのわずか前に、
命は消え去っていたのでした。

 
 その猫は、首輪の無い野良猫でした。もしかしてこの近所の誰かがかわいがって
探しているのではと思い、ちょうど路肩に広がる空き地にひとまず寝かせてあげました。
 仕事から帰った夕方。亡骸は誰にもひきとられず、朝は温かくて柔らかだった体が、
冷たくかたまっていました。
自宅へ連れ帰り、夜になってしまいましたが庭へ埋めました。



「飛び出す方が悪いよ、急ブレーキかけたらこっちが危険だろう。」
と言う人間がいますが、こうして路上で息絶えているのが人間だったら、
そんなことを言う人はいません。
「人と動物を一緒にされてもね…」
という人間がいますが、確かに人間は、凶器を持っている点で動物とはちがう生き物です。


 あと少しずつ、この道を走る車がスピードを落としてくれたら、ずいぶん事故も
減るでしょう。今日亡くなった命もケガですんだかも知れないのです。
 

 人間は、凶器を操る責任を肝に銘じ、この世界に暮らさなくてはならないと思います。




2013年1月30日水曜日

雪と氷の国①



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(凍結したイナリ湖の夜明け)
元旦から久しぶりに、友人と海外旅行をしてきました。
フィンランド。目的はオーロラ観測とムーミン美術館です。

ヘルシンキから北へ約800km。
夜行列車と長距離バスを乗り継いでイナリという小さな集落へ行き、
オーロラを待ちました。

マイナス15度くらいまでは北海道で体感したことがありましたが、、
マイナス20度とか30度とは一体どのような…と想像がつきませんでした。
けれど、私たちが滞在中、最低で20度ほどまでしか下がりませんでした。
どうやら比較的暖かい時期だったようです。
極寒の時こそオーロラチャンスがある…ときいていたので、暖かいとはちょっと
不安だと思っていたのですが、
結果的に、オーロラはすばらしい姿をみせてくれました。
しかも毎晩…。非常に運がよかったようです。
本当に、言葉でなんと表現したらいいものか探しましたが、
どれも上手く当てはまりませんでした。

 写真も、シャッタースピードが調節できないコンパクトカメラしか
持っていなかったため、残せませんでした。
(実は、同じ湖で素敵な一眼レフで撮影していた日本人の方に、
是非写真を分けてくださいとお願いしました。
まだ来ないので、祈るように待っています。)

目を経由して、心にストックされた記憶装置だけが、
写真が無い現在、唯一オーロラを再現できる場所です。
劣化しないように、いつまでも鮮やかに保存していかなくては…と思います。





2013年1月14日月曜日

2013年初めての雪




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元旦からしばらく、雪と氷の国フィンランドへ行っていたので、
今日の雪を見る前にたくさん目にやきつけてきました。
目をつむると未だ真っ白な光景がよみがえります。
溶ける事の無い氷の結晶が空中を漂う澄んだ世界、本当に美しかったですが、
暖地で降る雪も「積もるだろうか」という期待とともに好きです。


 蛇という生き物は、かわいいと思ったことがありませんし、
むしろ出会いたくない存在です。
この絵のように、小さな生き物と花をまもってくれる蛇など
あり得ないと言われるでしょうね。
でも、もしかしたらあり得るかもしれない…とも思って布絵を創りました。
 

 現在長野県で行われている「震災で消えた小さな命展パート2」
に申し込みをされた被災者の方が、昨年末に数名増えたということで、
私は追加でもう一つ作品を出させていただきました。
そのかわいらしい猫のMちゃんは、猫なのにメロンとイチゴが大好物で
肉や魚を好まないとのこと…。
そんな不思議な猫ちゃんもいるのですから、
こんな蛇さんがいても、おかしくないのではないでしょうか。