2015年12月27日日曜日

るすばんねこ 7


 今月は、毎週末おりこうにるすばんをしているニャアコちゃんです。
テーブルに置いたPCをくいいるように見つめていました。(この後、キーボードをのしのしふんで立ち去りましたが。)

 今日、スーパーへ買い物へ行くと、当然のようにお正月一色のディスプレイです。
冬至の前はカボチャやゆずが並び、クリスマスにはケーキやオードブルがぎっしりあった棚。

 幼い頃、クリスマス後のあっというまにお正月色に変わってしまう街が嫌でした。
クリスマスの楽しい空間を、一晩ですりかえられてしまうのがさみしかったからです。
音や光、香もすべて、がらっと変身してしまうのですから…。お正月も楽しい行事ですが、
やはり子どもにとって、クリスマスは特別なものなのでしょうね。
 
 一昨年のお正月、フィンランドへ行った時、街はまだクリスマスディスプレイがあふれていて、
泊まったホテルにも大きなツリーが輝いていました。
『メリークリスマス&ハッピーニューイヤー』を実感し、なんだか嬉しくなりました。
日本の街は変わり身が早いけど、あちらではゆっくりと連続した祝祭日を過ごしているのです。
 
 冬至を過ぎ、太陽は年をまたぎながらゆっくり腰を上げ、じわじわ長居してくれるように変化します。
小正月の後、寒さのピークを乗り越える頃、
「そういえば、なんとなく日の入りがおそくなったような。」と思いはじめる気がします。
そんな季節の移ろいをチャカチャカ忙しくせず、ゆったり過ごせたらいいなあと思います…が、
毎年あらゆることに追われているのが現実なのでした。

 ニャアコちゃんは達観された様子で、これから確実に伸びていく日の入り時間を知っているようです。

2015年12月17日木曜日

あらしの後

 
 先日、雨上がりに近くの九十九里浜を散歩しました。
嵐の後なので、変わった貝がらがないかなと思ったのです。
でも、波打ち際に貝がらはほとんど見つからず、クラゲたちがたくさん打ち上げられていました。
海水に戻しても動かず、すでに命はつきてしまっていました。残念です。
 
 あまりにいたいたしい波打ち際を歩くのは止め、風紋が刻まれている砂浜の写真を撮ってみました。中央アジアの岩砂漠地帯に似た風景を撮りながら、クラゲたちは嵐から避難する術がないのか考えました。
 貝たちは嵐の前に砂の深いところへもぐることもあるらしいし、ウニやヒトデ、私の尊敬するナマコなども頑丈な岩かげへはりついて避難するらしいと聞いたことがあります。
 でも、クラゲはどうにもならないのでしょうか。クラゲが荒天時の海中でなにか対策しているのかどうか、私が調べた限りでは見つかりません。自然界でクラゲがどのような行動をしているか、まだまだ解明されていないようでした。
 クラゲに限らず、自然界に存在する生命体の不思議は、ヒトに研究解明されている事実など砂粒ほど微量なのでしょうね。
 砂漠のような風紋をカメラでのぞいていると、ふと、砂粒より小さい自分が、はるか上空から何者かに観察されているような想像をしてしまいました。




 

2015年11月29日日曜日

誕生日


 15年前の今日、私は都内の職場近くで一匹の『捨てうさぎ』を拾いました。 
引越しの不用品とともに、その小さな命は置き去られていたのです。
野生のノウサギでなく、ノラうさぎが存在するなんて考えたこともありませんでしたが、都会の公園でうさぎが健康に生きていけるはずがないことくらい、当時の私にも解りました。
後に友人と共同で迎えた大切な家族となりましたが、その時はどうしたらいいものかおろおろしていました。
 寒い北風が吹く日、街路樹の落ち葉を追いかけるように食べていたうさぎは、やせて目が大きく見えました。保護されると、こわばってかたまったままです。
 自転車通勤だったので、背中のリュックサックにうさぎをすっぽりつつみ、私は家路を急ぎました。世田谷区の職場からアパートのある杉並区まで、30分弱の道のり。
うさぎはおとなしく、私に背負われてやってきたのです。
 でも、一度だけ背中のうさぎはリュックの中で動きました。帰り途中、ペットショップに寄り道した時です。うさぎのフードを探していた店内。突如、傍らにいたチンチラがゲージ越しに私のリュックをじいっと眺め、小さな体でぴょんぴょん飛び跳ねました。
 すると、わずかに遅れてリュックの中のうさぎもぴょんっと伸び上がるようにジャンプしたのです。
彼らは無言で、何かを伝え合っていたのでしょうか。
リュックに包まれたうさぎのことを、ペットショップに囲われたチンチラはどんなふうに思い、何て言ったのでしょう。
 15年経った今日も、私はあのチンチラの顔が忘れられません。
今日は、あの日背中に背負って連れ帰った大切な家族の誕生記念日ですが、
あのチンチラにも、そんな記念日が訪れたことを願いながら、毎年この日を思い出します。




2015年11月13日金曜日

ひょうたんと土偶さん

先日、国立科学博物館で『世界のひょうたん展』を見ました。
なぜだかわかりませんが、ひょうたん には昔から憧れに近い気持ちがありました。
家にあったひょうたん型の七味唐辛子入れも、本物じゃなくて木製ですが大好きでした。
庭先にひょうたんがぶら下がっている家があると、ついつい立ち止まって見てしまいます。


 ひょうたん展、科学博物館の中でも地味な展示室でしたが、なんとも魅力ある展覧会でした。
アフリカ大陸や南米を中心に容器、飾り、楽器など、用途はさまざまで、お面や呪術など、変わった用途のひょうたんもあります。

「最古の栽培植物…。」
およそ6千年も昔から水入れなどに利用していたという説明板を読み、ほお!と感動しました。
調べてみたら、日本の縄文遺跡から栽培されていた痕跡を示すものが出ているとのこと。
私の大好きな土偶さんたちと、ひょうたんも同じ時代を観ていたのです。
ますます、 ひょうたんへの魅力がアップしました。

2015年10月31日土曜日

ふせがき

(秋の日の贈りもの 絵・うさ より)
秋に実る柿の実をすべてとらずに少し残しておき、冬の間食料に困るであろう鳥や動物にあげる習慣があるそうです。それを、布施する柿『ふせがき』というと、ずいぶん昔に知りました。
 そこから思いついた小さな物語に、うささんが絵をつけてくれて、今年FM愛知の小冊子・エコメンド内に載せていただきました。山の熊たちの食べ物が乏しい、ある年の秋の話です。
 上の絵は最終場面。山と村の境目にある柿の木に、吊るし柿がたくさんぶら下がっていて、たくさん食べてねとメッセージが下がっています。
 びっくりして感激しているのは、人間によって母熊を失った子ども熊。熊たちのために柿を枝に吊るそうと思いついたのは、村に住む小さな人間の子です。
 
 熊が人里に出て捕獲されるニュースを毎年聞くたび、胸が痛みました。
人里に来させないために、食べられる農作物などを畑や野に残してはいけない、という意見も聞きます。でも、熊たちに、山と村の境界で食物を提供する「熊の畑」という活動をされている方たちもいるそうなのです。
 
 私の物語は現実的じゃないかもしれませんが、ふせがきという言葉と、その心はずっと消えずにいてほしいと思います。

2015年10月10日土曜日

るすばんねこ 6


ニャアコちゃん、再び2週間のるすばん中です。
トマトにかわってコスモスが咲く軒先で、ピンクも似合うニャアコちゃん。風でゆれるお花に視線を翻弄されています。  

 ニャアコちゃんは、ちょうど一年前の10月初旬、うささん宅へ保護されました。二週続けて、大きな台風が関東を直撃した時でした。
 
 ニャアコちゃんを室内へ入れた時、近所には、のびのび自由に外で過ごしている方が幸せだよね、と言う方もいたそうです。
私も、数年前まではそんなことを思っていました。自分がもし猫だったら、家より自由に外がいいななどと、口にしていました。 想像できるはずない、無責任な発言でした。  

 野良猫生活は、ケンカやケガ、病気や交通事故…いつ命を落とすかわかりません。 さらに、現代は残念なことに、歪んだ精神の人間による猟奇的な殺害まであります。  

 充分な食べ物と争わなくて良い広さがあり、車がブンブン走っていなくて、歪んだ人間も入ってこない土地ならば、 外で自由に暮らして幸せかもしれません。

  野良時代のニャアコちゃんも、先住猫との確執や寝場所探しに追われていたようです。 当時は、常にビクビクしている姿が印象的でした。
今は脅かされるものもなく、ガリガリの逆三角顔から、丸いお顔になりました。
窓際の丸い桶がお気に入りです。

2015年9月30日水曜日

スズムシと観た月


9月の後半を急ぎの仕事でバタバタと過ごしてしまいました。
爽やかな秋晴れが多く、連休もあったのに、いつもギリギリ人間の私はゆとりなく過ごし、もう明日から10月になろうとしています。

 でも、満月だけは、スズムシの声をききながらベランダからゆっくり眺めました。。
そういえば以前、スズムシの声を携帯電話のボイスレコーダーに録音しようとして、できなかったことがありました。
 周りの音は細かく入っているのに、スズムシの声だけ全く入っていない…!
周波数の関係で、携帯電話では音を再現出来ないらしいということを後で知りましたが、なんだかとても不思議でした。
デジタル機器に捕まらないように、するりと逃げられたような。
機械から逃げてくれて、うれしいような気もしました。

2015年9月15日火曜日

長雨の後


 雨が続いた先週、突然ニョキニョキと地上へ突き出した花芽が開きました。
赤い彼岸花より毎年一足先に咲いてくれます。

 私の住む地域は何の被害もなく、雨は彼岸花の花芽をもたらしてくれたくらいでしたが、茨城県ではテレビで報道されている通り大変なことになってしまいました。
どんなに恐ろしかったでしょう、屋根の上で救助のヘリを待つ時間。
経験していない私には言葉にできない怖さです。

 避難先で動物を受け入れてもらえない所があったと聞き、また胸が痛くなりました。
 「非常時、うちは車で動物たちもみんなまとめて連れて行けるから大丈夫。」
私自身もそうですが、ペットを連れて逃げるなら車を利用して避難するのが最適と考えている人が多いと思います。でも、今回のように先に周囲が水没していたら、車はあてにできません。たった50センチほどの水位で車は動かなくなりますから…。
 
 私も、ちゃんと確かめておかなくてはと反省し、自分がお世話になる避難先の学校へ質問してみました。以前、役所に問合せした時は、「災害時に動物も同行して避難するのは大原則にしている。(同伴は約束できませんが)」という答えをもらっていましたが、実際の避難先には確認していませんでした。
ところが、学校の方の答えは・・・つまり、何もそのようなことは考えていなかったようで、動物ねえ、どうなりますかねえと困惑された様子。
 役所では「実際の運営は避難所の方で決めますから、詳細はそちらに聞かないと」と言われますし、避難所である学校の方は、「何かの時は役所の防災課からどういうふうにするか知らされるでしょうから」と言われます。まさに、なんだか人任せそのものの縮図が見えて残念でした。
 残念がっていても仕方ないので、またしばらくしたら問い合わせて何かマニュアルが決まったら教えてもらう予定ですが…。
 災害はいつ起きるかわからないのですから、自分の地域がどうなっているかの確認は大切だな…とつくづく思います。



2015年8月31日月曜日

夏の旅


 イタリアのドロミテ山岳地帯を初めて歩いて来ました。遥か太古の時代に海底に積もった堆積岩の山脈をちょこまか歩き回って10日間。
 個人旅行故の細かな苦労はありましたが、そんなことはすべて帳消しになる、ウットリした山歩きでした…。
 奥深いドロミテの西側の一部を巡り、写真は一目惚れしてしまった「サッソ・ルンゴ」。この山には是非再会したいです。
 
 いつもながら思うのが、今年もこうして大好きな旅をすることが出来た事への感謝です。
 特に今回、それを強く思いました。
私が今回とった格安航空券は、中東の国カタールにあるドーハ空港経由のチケットでした。経由地ドーハ空港内で4時間から5時間近く待ち時間がありました。
 座ったベンチそばのテレビで、今日のニュースらしい映像が流れる画面に吸い寄せられました。アラビア文字の字幕しかないのでどこだかわかりません。けれど、悲惨な爆撃後の住宅地が映されていました。 日本では決して流れない、残酷で苦しくなる光景です。場所がかわり、今度はあるモスクが粉々になっていて、やはり凄惨な風景が映されてます。そしてまた次も、場所はかわり恐ろしい現場が…。
 
 カタールとイタリアの間のフライトマップを見ると、報道番組で耳にした事がある地名が多く現れます。イラクやシリアの真上を飛行機は飛んで行くのでした。
窓側の席をとった私は下方の乾いた大地を眺めていましたが、そこに恐ろしい現実がある事などうかがいしれません。陸路では渡航禁止の国々の上空を、このようにのんきに飛んで通過して行くのはどうなのかな…とも思いました。
 
 この先も、私はいろいろな場所へ自分の楽しみのために出かけると思いますが、例え空の上でも、忘れてはいけない現実があるのを思い知りました。

2015年7月30日木曜日

るすばんねこ 5


 るすばんねこ1週間目。今朝はいつもより涼しいせいか窓際のくつろぎ場所にいたニャアコちゃん。
勢いよく繁るミニトマトをじっと見ていました。
 トマトジャングルに飛来する蝶やトンボ、ハチの動きから目を放せないようです。

 ニャアコちゃんは、食べ物に幅広い好奇心をしめさない方のようです。
これは喜びそう!というようなものも警戒してあまり手を出さず、いつものごはんがいいようです。
 私も食べ物に関してかなり保守的なので、気持ちはよく分かります。
知らない食べ物にチャレンジしようという気がほとんどないのです。同じメニューが続いてもあまり飽きません。つまらなくない?と言われますが、大丈夫です。
 
 保守的ですが、私が現在どうしても食べられないものはそれほどありません。
子どもの頃は苦手なものだらけで、給食に四苦八苦していました。
 
 子どもが嫌うものは今も昔も大体、苦味のある野菜が多いですが、素材でなくて調理加工されたものは、味より色や形状で嫌うこともありそうです。
 トマトが好きなのに、トマトジュースは嫌いだという子に、味が嫌なの?と聞いたら、
「味は好き。血みたいで嫌なの。」
と言いました。なるほど、私も幼い頃そんな理由で嫌いなものがあった気がします。紫のキャベツや玉ねぎなど、毒のように見えて怖かったり、ゴマ和えなども、まるで汚れているみたいに見えて食べたくなかったのです。
 大人になってしまえばそんなはずがないとわかるので、美味しくいただけるのですが。

 ニャアコちゃんたち猫が食欲をさそわれるのは、見た目より匂いなのでしょうか。
赤いトマトを食べる私を不思議そうに見て、口元まで匂いをかぎに来ますが、まったく興味ありませんわという様子。
肉食女子のニャアコちゃん、ベジ猫への誘いは無視!です。


 
 





2015年7月20日月曜日

震災で消えた小さな命展・・・32

 
千代田区の一口坂ギャラリー展示が昨日で終わりました。
時間をさいて受付と会場係、搬入出をしてくださったボランティアの方たち、第一回からギャラリーを提供してくださっているオーナーの藤代さんに感謝です。本当にありがとうございました。
 いつも思う事ですが、透明感があるのに、とてもあたたかい空気に包まれるギャラリーでした。終わってしまったのがさみしい気がします。
 
 ギャラリーへ向かった日、総武線各駅停車の車内で、3人の外国の方が賑やかに乗っていました。陽気な青年たちはスマートフォンとガイドブックを両手に持ち、東京見物中のようです。その中の1人が手に持っていたペンを落とし、私の隣に立つ日本人女性の足下へ転がりました。
 落とした青年はすぐに拾い上げたものの、スカートをはいた若い女性の足元へ手を伸ばしたのでぎょっとされてしまいました。大きな声で「ソーリー!」と何度も連発し、手に持っていた本を素早くめくると、ぴったりの日本語を見つけたとばかりに「シツレイシマシタ!ゴメンナサイ!」と何度かあやまっていました。
 「ごめんなさいとありがとうは、ことが起きたその場で言うのが一番いいんだよ!」
と子どもらに教えていた小学校の先生の言葉を思い出しました。
混みあった電車内でぶつかっても無言ですり抜ける人、降りる駅で道をあけてもらっても見向きもせずに急ぐ人。
 あの青年みたいに何度も大きな声であやまらなくても、余裕のない人々の間に一言でも「ありがとう」と「失礼しました」があれば、満員列車のストレスはかなり減るのでしょうね。
 
 命展へ申し込みされた方の中には、あの日の朝、家族と口ケンカをして別れたまま震災で家族を失い、二度と謝ることが出来なくなった方もいます。あとで仲直りしたくても突然日常がひっくり返され、もぎ取られてしまうことがあるのです。
 震災から4年が経ち、小さな命の展覧会への関心も薄れてきているのを感じますが、私達の日常がいつ切断されてしまうかわからない可能性があることを、忘れないでほしいと思います。

2015年7月3日金曜日

るすばんねこ 4

16日間のるすばんを終え、4日間うささんとぺったり過ごしたニャアコちゃん。
うささんは、今日3日の岩手県花巻市の講演・5日からの新潟展へ旅立ちました。
再びるすばんねこになっていることを、見送ったばかりでよく分かっていない様子のニャアコちゃんです。

 ニャアコちゃんの足を投げ出した姿がウサギみたいでかわいくて、写真を撮りましたが、怖い事を思い出しました。
18年も昔のことですが、青森県の五能線沿いで途中下車して散歩していた時、路肩に足を投げ出して寝そべる一匹の野良猫と会いました。その猫はまるでリラックスしているような寝姿なのに、近づく私にはげしく威嚇しはじめ、きばをむく勢い。不自然に上半身だけ持ち上げています。
 3mほど近くに来てやっとわかりました。右後足をトラバサミに挟まれていたのです。
どうしよう…青ざめた私は何かそのワナをこじあけるものがないか探しました。
 猫は私の緊迫した気配におののいたのか、鎖がついたトラバサミをひきずって歩き始めます。ガシャン、ズルズルと金具を引きずる路面に血の跡がつきました。
逃げないで、なんとか外したいから!という気持ちなど通じません。彼らにとっては恐ろしい人間の一味ですから。
 猫は私を警戒しながら農家の庭にある倉庫に入っていきました。そっとついていくと、ちょうど家人が通りかかったので理由を話しました。
「ああ、もうすぐ死ぬべ。そしたら外せるから。」
なんでもないことのように言って、その人は家へ入ってしまいました。
 しばらく呆然としていた私でしたが、近くに転がっていた棒をもって猫に近づきました。倉庫の角に追い詰め、そばにあったビニールシートで猫を覆いながら必死に金具へ棒をさしこみました。ガチャンと音をたてて金具が開いたと同時に猫は3本足で飛び出し、跳ねるように5mほど遠ざかった所で立ち止まって振り返りました。真っ赤ですが、足がちぎれずについているのは見えました。そして猫は路肩のしげみへ消えてしまいました。
 私は血だらけのトラバサミをぶら下げ、降りた無人駅へ走りました。一刻も早くその場所を去りたかったし、悲しさと怒りがまざった激しい気持ちでした。駅のゴミ箱へ、トラバサミに空き缶をいくつも挟み込み、くさりでめちゃくちゃに縛って捨てました。
 
 8年前の2007年には、あの恐ろしいワナを使うことは法律で禁じられていますが、以前は当たり前のように害獣(野良猫も含む)に使われていたと、後で知りました。

 ニャアコちゃんのかわいい姿を見ながら思い出した恐ろしい事ですが、野良猫出身のニャアコちゃんも、何か怖い体験をしているかもしれません。もしそうなら早く忘れ去ってほしいものです。

2015年6月22日月曜日

るすばんねこ 3

 
 
朝から陽射しがまぶしく、暑い一日でした。
ニャアコちゃん、命展で飛び回るうささんと6月中ほんの数日しか会っていません。
留守番している間に、庭の草ものび、トンボや蝶々が飛び交っています。
ひめりんごやトマトも赤く色づいてきました。

 今日は夏至の日。ずいぶん遅くまで明るく感じる窓辺で、ニャアコちゃんの瞳も遅くまで細めでした。

 この時期、北極圏の空は白夜で暮れないのですね。
と、いうことはそこに住む猫たちの瞳は、一晩中細いのでしょうか。
少なくとも目を使っている時間は増えそうな気がします。
私は、明るい昼間はどんなに寝不足でもなかなか眠れないタイプなので、
白夜の国にいたらワクワクしてしまい、夜中も起きているかもしれません。

 毎年、夏至の日に晴れが多いように思えたので、過去の天気が出てくるサイトで調べてみました。
やはり、ここ数年私の住む地域は大体晴れていました。
太陽エネルギーが、梅雨の雨雲を退けているのかも…。
偶然でしょうけれど、今日のニャアコちゃん、いつもより食欲が旺盛で活発でした。
留守番しながら、背中に貫禄がついてきたニャアコちゃんです。

 

2015年6月16日火曜日

梅雨の晴れ間

 
あじさいは雨の日の方がきれいに見える気がしますが、写真を撮った日は暑い晴天の下…負けずに美しく咲いていました。

 先週、雨上がりの朝、道路の真ん中で大きなカタツムリを発見。
直径3センチはある立派な殻を持った大物のおかげで、オートバイ走行中の私でも回避できました。
 路肩の草むらに避難してもらいましたが、周囲の路面に、何匹かのミミズが踏まれて命を落としていました。

 そういえば以前から、雨上がりにミミズたちが道路でかわいそうなことになっていることが気になっていました。
「なぜ、ミミズたちは地上に出てきてしまい、命を落とすのか?」
 ネットで調べてみると、同じ疑問を持つ方は多いようで、いろいろと意見が載っていました。その中で、一番納得できた答えは次のようでした。
『二酸化炭素を多く含んだ雨の水分が土壌にしみこんで、酸素不足になるため。
 そして、乾燥の嫌いなミミズが、湿度の多い時をねらって地上を移動するため。』
私がなんとなく考えていたのは、地中に水分が多くなっておぼれるのを防ぐため?でしたが、それは違うようです。雨の中の二酸化炭素とは、思いつきませんでした。

 雨上がりの山歩きで、登山道の端っこにミミズが元気よく地上を這っている姿を見ることもあります。彼らが移動しているのは、森の中のやわらかい土の上だから、晴天で急激に乾燥死することもなく、移動できるのでしょう。(森の中の天敵にねらわれることもあるかと思いますが。)
 でも、アスファルトの道路ではそうはいきません。
高温・乾燥・そして通行する車や人間、すべてがミミズにとっては未知の危機です。
 雨に含まれる二酸化炭素は、太古から多かれ少なかれあったでしょうから、地上に出てくるきっかけは自然の摂理かもしれません。
 けれど、たくさんのミミズが命を落とす理由に、人間世界が干渉しているのは間違いなさそうです。



2015年5月31日日曜日

チューリップの樹



 現在描いている絵にチューリップが出てくるので参考資料を検索していたら、チューリップツリーという樹木がありました。
ハンテンボクやユリノキという日本語の名前で聞くことか多い樹木です。
そういえばご近所にこの木かあるのを思い出し、ベランダから眺めたら、ちょうどチューリップ
そっくりの花が咲いていました!

 今は空き家になっているそのお宅の隅で、立派な大木に育っています。
さわやかなライトグリーンの葉に、クリーム色とオレンジラインの花。
私の好きな朴の木と同じモクレン科の親戚のようです。朴の木もそうですが大きめな葉の上に咲き、しかもそれが高いところに多いので、なかなか下から見えません。ベランダからズームで撮ってみました。
5月最後の日、さわやかな樹と花にあえて嬉しかったです。

2015年5月20日水曜日

好きな雨


 昨日、昼の間降った雨が止み、とてもきれいな夕焼けを見られました。
稲の列も、夕焼け色の水面に整列していました。
奄美地方が梅雨入りをしたニュースをききましたが、沖縄地方が今年まだ梅雨入りしていなかったのには驚きました。毎年、連休明けくらいに梅雨入りをきくような気がしたのですが。

 沖縄の八重山諸島の言葉で、「もらったあみ」と呼ぶ雨があるのを、ずっと前に聞いたことがあります。「もらった雨」という意味で、急に降るにわか雨のことです。
空からもらった雨なのだと知って、いい言葉だな~と忘れられずにいる好きな雨の名前です。
 急に雨にあえば「あ~あ…。」と空をうらめしく思うことが多いですが、空からのプレゼントをありがたく思う生き物が、人を含めてたくさんいることを思い出せる言葉です。私もミニトマトの苗を植えたばかりだったので、昨日空からもらった雨がうれしかったです。

2015年5月9日土曜日

震災で消えた小さな命展・・・31

連休最後の5月6日、一日だけ開催した宮城県多賀城市文化センターへ、命展とフジコ・ヘミングさんのコンサートへ行って来ました。ホール横の展示場所は細長くて天井が高く、とても落ち着く空間でした。いつもたくさんお世話になっている仙台のボランティアの方たちとお会いでき、素敵な空間で過ごせたことが嬉しかったです。

 フジコさんのピアノは以前から大好きで、ミュージックプレーヤーにいつも持ち歩いているのですが、生で聴くのは初めてでドキドキしました。最初の方の演奏曲が少し緊張されているような印象だったので、観ている私まで緊迫してしまったのですが、3曲目あたりからそのような空気は霧散しました。
 滑らかにやわらかく、ものすごく芯が強くて安心する…心の奥が熱くなる演奏でした。コンサートやライブというものにほとんど行かない私ですが、来て本当に良かった、とつくづく思いました。
 丸く穏やかな背中と、決して長くない腕と指は、観ているかぎりでは激しく動いていません。むしろゆったり静かなのですが、奏でる音は細分化し、すばやく鮮やかにホールをかけめぐるのです。
 不思議と感動につつまれたままコンサートは終わり、運よくフジコさんと握手をしていただくことができました。
 その時、フジコさんが弾いていたグランドピアノが、大きな黒い動物のように思いだされたのです。フジコさんは弾いていたのではなく、ピアノみたいな動物を、ゆったり優しくなで続けていたような気がしました。
 毛のかたまりをシャシャッとほどいたり、浮いた抜け毛をふわっと宙へとばしたり、こった背中をぐいっと押したりするように。
 フジコさんの手は、ぽんわり丸くて分厚く、とてもあたたかでした。どうか、いつまでもあのあたたかい指から、優しくて強い音が世界へ広がりますように願っています。フジコさんが『命展3』のために描いてくれた魅力ある猫ちゃんのような、幸せそうな命が増えますように、祈っています。
 

2015年4月30日木曜日

震災で消えた小さな命展・・・30

 
現在、茨城県の結城市で開催中ですが、今週の日曜日まで東京の会場・六本木俳優座で開催されていました。
一歩外は首都高速が走り、にぎやかな通りがある場所で 、絵の動物たちは飾られていました。

 車椅子のお客さんが訪れたとき、私はあっと思いました。
ロビーへ降りる段差にはスロープもないし、舞台のホールへ上がるエレベーターが
ない建物だということを、その時知ったのです。

 最近の建物はバリアフリーを考慮してつくられているのでしょうが、日本の設備は国際的な基準でみると、かなり低いようです。
東京オリンピックの会場となる建物に、車椅子観覧席数が少ないという指摘を受けたニュースも最近聞きました。
 
 国の基準や国際オリンピック委員会の指摘がなくても、ビルの持ち主や運営主の方が思い立てば、ちょっとしたバリアフリーは実現できるのではないでしょうか。
俳優座のように古い建物でも、簡易的なスロープや、階段の手すりを利用したリフトなら改築工事できるのではないかなと思いました。
(建築のことなど素人の私が言えることではないかもしれませんが…。)

 会場を訪れた車椅子の方は、「ごめんなさい、重いでしょう、すみません。」
と何ども頭を下げながら、人力で階上へ運ばれていました。
あのようにすまなそうな思いをしないで、ゆっくり舞台や展示を観に来られるようになってほしいです。

2015年4月5日日曜日

るすばんねこ 2

ニャアコちゃん、るすばんをしてから10日が経ちました。
明日はようやく、うささんが帰ってきます。
チューリップが咲いた軒先を、眠そうな顔で眺めていたので、
外からカメラを向けると大あくびしてくれました。

 ニャアコちゃん、時々部屋のある一角をじっと見つめるので、もしやそこには見えないダレカが
いらっしゃるのでは、と私も見つめてみるのですが見えません。
そして、電子レンジが作動するとその周辺の空間を目を丸くして凝視します。
ものすごい電磁波が部屋にうずまいているのでしょうか?
もちろん、私には見えません。

 でも本当に見えないのかな?見えないと思い込んでいるから見えないだけでは?
私には見えないと決定された視神経でカバーされた空間を
見ているだけじゃないのかな?と思うことがあります。

 けれど鈍い私にも、気配なら感じることがあるのでした。
意識していないスキだらけの時に、「あれ?何か目の前を通った…。」と感じることがあり、
そんな時「今の見えた?」と近くにいたニャアコちゃんに聞いてみました。
しかし、そういうときに限って眠そうに知らんぷりのニャアコちゃんです。

 ニャアコちゃんから見れば、「なんでそんなに見えないものが多いにゃ?ヒトって不便にゃ。」
と言いたいところかもしれません。





2015年3月30日月曜日

震災で消えた小さな命展・・・29

三鉄駅前でうさぎさん発見
 昨日まで岩手県の大槌町で3日間開かれていました。
私は搬入の日と初日だけお手伝いしましたが、『命展宮古周辺チーム』の方々のおかげで、展示作業はあっというまでした。
久しぶりにみなさんとお会いできて、嬉しかったです。
 
命展3で絵になった子達と会うのは、初めてです。
静かなホールで、ゆっくりと絵とエピソードをみせていただきました。
 震災から4年を経た現在ですが、申し込まれた方からのお手紙にあふれる感情と震災の描写は鮮烈に心へつきささります。
やりきれない思いや、ずっと抱えてらっしゃる後悔が押し寄せてきます。
 津波から逃げ延びたけど、避難生活中に独り家出してしまった娘さんを探すお母様のお手紙もあります。それを読むと、今も連続して途切れることのない悲しさとつらさをつきつけられます。

 明るい笑顔でお話してくださる宮古チームの方たちも、心の中にあの時のつらさをいくつも抱えておられます。
 急ピッチでかさ上げや建築工事が進む釜石の街も、早朝散歩した裏道には大きな亀裂や、曲がった鉄柱がありました。
たくさん傷を抱えながら一生懸命前進している姿を感じます。

 搬入の日、会場の大槌マスト2階広場で、何か展示をしているようなので行ってみると、津波で流され迷子になっている写真を、持ち主さんへお返しするための写真展示でした。
表面が白く削り取られて見えにくいものもありますが、丁寧に泥をぬぐって乾かしたプリント写真たちには、楽しそうなスナップ風景が多く写っていました。
「あ、ここでもやっているね。見ておこう。」
知っているお顔がいないか、立ち寄って自然に見ている方の言葉にどきっとしました。ここにいる方たちのほとんどが、日常を突如はぎとられた経験をされているんだな、と改めて思いました。
 
 絵の子たちとの初対面、宮古チームの方たちとの再会、傷をつつんで前進している土地で、いろいろ心の奥底をうごかされた2日間でした。

2015年3月19日木曜日

緑色のかわいい鳥


 寒さがゆるんだ朝、近所の畑地や藪から様々な鳥の声が聞こえました。
いつも元気なヒヨドリを始め、ケンケン!(キジ)・ホーホケキョ(うぐいす)・キョキョキョ…(つぐみ)
それから、チョットコイ!とコジュケイも高らかに鳴いていました。
 写真は、椿の大木が繁る、千葉県旭市の史跡公園で撮りました。すばっしっこくてとても追えないメジロが、偶然真ん中に写ってくれました。花の蜜を舌でせっせと吸い取っているようです。黄緑色の美しい身体が、濃緑と赤の椿を転がるように飛び回っていました。
 メジロよりか濃い緑色の鳥で、アオバトという鳩がいます。森の深いところに住んでいるので、山で姿をみることは難しいですが、集団で海水や温泉水を飲みにくることが話題になったこともあります。繁殖期でも草食を続けるので、体に必要なミネラル分を補給するために海水などを飲むらしいですが、いろいろ生態に謎が多いのでした。
 彼らの鳴き声がまたおもしろい、というか素敵です。
「アオアー…オーアオーアオー…」尺八か低めのオカリナを物悲しく鳴らすような声で鳴きます。
 私は、神奈川県大磯町の海岸で、海水を飲みに来ていたアオバトグループを見たことがありましたが、声はなかなか聞けませんでした。
 初めてその声を聞いたのは、丹沢山塊の桧洞丸(ひのきぼらまる)という山の中。山ツツジの咲く春、夕暮れになる頃たちこめた霧の中です。ミズナラやカンバの深い森の下山道で、低く聞こえたその声はかなり神秘的で、感動しました。
 ところが、アオバトは地方によってマオドリ(魔王鳥)と呼ばれ、不気味な鳴き声の不吉な鳥として伝承されているそうです。
 山中でマオドリと出会ったり声を聞いたりするのは、不吉なことが起きる前触れだというのですから、アオバトファンの私もびっくりでした。
 その伝承を最初に言い出した人が、もし素晴らしいレンズの双眼鏡であのかわいい姿を見ていたら、そんなことを思わなかったのでは…?
森の奥に住んでなかなか姿を見ることが出来ない鳥の、声のみがひっそりとひびいていたから、想像がふくらんで不気味な鳥になってしまったのでしょうか。
人間は、未知の事象が怖くて、調べてはっきりさせないと安心できない生き物なのかもしれません。
怖くて怖くて、だから未知であったり解りあえぬ事を、否定や攻撃したくなるのかもしれません。

2015年3月6日金曜日

震災で消えた小さな命展・・・28


今日から震災で消えた小さな命展・3が始まりました。
第1回からお世話になっている宮城県石巻市のナリサワギャラリーさんが
スタート会場です。
絵になった子たちが、申し込まれた方たちと会いながら全国を巡回する旅が始まりました。
 私が今回描かせていただいた子は、ミドリフグさんでした。東南アジアなどの熱帯汽水域に暮らすそうです。自然界では会えないので、水族館で泳いでる姿を見せていただきました。
  ミドリフグさんに会ったことはありませんが、熱帯の海でシュノーケリング中、フグ仲間と出会いました。サンゴが途切れた白い砂地の浅瀬で、さまざまな種類のフグさんたち(ミゾレフグ・コクテンフグ・ハコフグなど)がひれを小刻みにふるって泳いでいました。勝手に「フグ広場」と名づけ、そのかわいい姿をみせてもらっていました。

 ミドリフグさんについて調べていたら、ショッキングな出来事につきあたりました。
彼らは小さなガラス瓶につめられ、ゲームセンターでクレーンゲームの景品になっていることもあるようです。当然衰弱し、命を脅かされた状態で店頭に置かれます。
運よくキャッチされ、さらに運よく、それがちゃんと飼おうという方であれば、奇跡的に助かるかもしれません。けれどほとんどが店頭で命を落とし、何の準備も飼い方も知らない人の手に渡る可能性があるでしょう。
 
人間は、日々さまざまな命をいただいて生きているのですから、このような無駄な犠牲を増やさないでほしいです。

 命を命と思えないような人にこそ「小さな命展」を見に来てもらいたい、と思いました。小さな命がどれだけご家族に大切にされていたのか、愛情に包まれていたのかを感じたら、きっとあんな扱いはできないはずです。

2015年3月1日日曜日

菜の花の道


近所にこんなのどかな道があります。用水路と田んぼにはさまれた一本道が長く続き、
その畦側にはこのような菜の花が列になっています。この季節に通ると嬉しくなる道です。
 

 けれどこの道、一年に数回、悲しい気持ちになる道になってしまいます。
除草剤で褐色に枯れた草の列が、むれたような臭いとともに連なるのです。

 草刈機で刈る労力が無いから仕方ないだろう…農道沿いの農家の方はそう言うかもしれませんし、
今の除草剤はちっとも危険じゃないんだよ、とマスクもせずに散布する方をみかけます。

 除草剤の種類は多く、近所でも、ごくふつうに庭の軒先で使用されている方がいます。
それほど害がないんじゃない?と思っている方が多いのでしょう。
けれど、散歩しているワンちゃんに害がおよんで、命を落としてしまったという話を聞ききました。
体の大きな人間だって、蓄積されればやはり危険なものになるでしょう。
草が枯れるのですから、害がないはずはありません。

 その道沿いで芽吹くことを止めた草花がたくさんありますが、菜の花は除草剤に負けず、
毎年道を彩ってくれるようです。
 菜の花たちは、耐性を持って強く進化してくれているのでしょうか。
毎年再会すると、ほっとします。でももし、見えないはずの有害物質がはっきり見える能力があったなら、
吸い込んだ毒素が花の列を染めているのも見えるかもしれません。
 

2015年2月16日月曜日

るすばんねこ

 震災で消えた小さな命展から生まれた実話の絵本「ぼくは海になった」(くもん出版)が
けんぶち絵本館で『びばからす賞』に入賞しました。おめでとうございます。
北海道の剣淵町へ授賞式典に出かけられたうささんの家には、愛猫のニャコリーヌちゃんが
「どこいったニャ?」といった不思議顔でお留守番していました。
一応受賞のことを説明しましたが、聞いていない様子でした…。

 小学生になったばかりの頃に愛読していた童話、その名も「るすばんねこ」(あかね書房)
家族がみんなおでかけしていったあと、猫が家中を探索して 回り、思わぬ見つけ物をしたり、
ハプニングがあったりする話でした。かわいい絵のインパクトとともに、家の中には
自分が気づかないものがひそんでいるのがスリリングで、とても大好きでした。
  猫ちゃんの目線、赤ちゃんの目線、腰がまがったおばあちゃんの目線。
同じ部屋の中でもかなり異なる見え方があるのでしょうね。
 以前、体調不良で昼間から横になった時、天井に今まで知らなかった模様があるのを
発見したことを思い出します。
時には、家の中で這いずってみたり、ごろごろ寝転んで移動してみると、何か新発見があって
面白いかもしれません。

 

2015年2月3日火曜日

すぐとなりの恐怖

先日、数十年ぶりに東京タワーへ出かけました。タワーの1階にある水族館が目的地です。
現在絵を描いている、お魚さんの姿を見たかったからです。
水族館を出た後、ふと思い出しました。
 東京タワーといえば…恐怖の「ろう人形館」。リアルな人間が動かずに静止しているだけでも怖いのに、途中で現れる「拷問されている人間たち」(ヨーロッパ中世の拷問の再現)が恐ろしくてずっと後まで忘れられませんでした。
「今もあるのかな…」と思いきや、一昨年に「ろう人形館」は閉館されていました。
 その後調べてみたら、私が恐怖におののいた「拷問風景」はだいぶ前から、入場者すべてに見えぬよう壁に仕切られていて、のぞきたい人だけがのぞき穴から見るように変わっていたそうです。怖がる子どもたちが多すぎて、保護者の方々からクレームがきたのでしょうか。
 とにかく恐ろしい光景でした。水車にはりつけられて水責めにあう人や、熱湯をかけられている人が暗闇に展示され、叫び声をあげているのですから。
 初めて訪れた当時5才の私は、当然大泣きしました。その後タワー内で撮った、白雪姫と小人たちとのスタジオ写真が残っているのですが、笑顔の白雪姫たちに囲まれて、泣き顔のまま非常に陰鬱な私が写っています。
 今も忘れられないと言うけれど、あの恐怖は私の身近にある恐怖ではありませんでした。だから大人になってしまえば、あくまでも「怖かった思い出」にすぎません。
 でも、あのような恐怖がすぐ近くにあるところで育ったらと思いました。
 残虐行為は、現在も世界のいたるところで起きています。
テロリストによる自爆や拷問・殺戮。正義を信じる軍隊による爆撃。
 そんな恐ろしい現実が、自分の町やすぐとなりで起きている場所があります。
5才の私が抱いた恐怖などガラスケースごしでしかないけれど、パソコンやテレビの画面上で見るよりか心の底へ入り込んでいたかもれません。
 

2015年1月20日火曜日

ふくしまのこと

先週、犬猫保護をされている東京の「まめちびくらぶ」さんに、福島県の浪江町・南相馬市・飯館村へ連れて行っていただきました。原発による『帰還困難地域』・『帰還準備地域』に残された犬猫の救出と保護、里親探しをしていらっしゃる方たちの活動と現状を見せていただきました。
(↓まめちびくらぶさんブログにこれまでの詳細が書かれています。)
http://mamechibiclub.blog.fc2.com/
 
 残された動物(現在はほとんど猫たち)をつかまえてはご自宅の敷地で保護されているご夫婦。今はまだ浪江町で生活することは禁じられているので、、100キロ近く離れた避難先の郡山市から毎日のように通っていらっしゃるそうです。
 その猫たちを、ご自分の動物病院で治療と不妊・去勢の手術をしながら、内部被爆研究へ協力されている先生。一日に8頭もの猫たちをお独りで手術されている日もあると聞きました。
 
 そしてその方たちのもとで、東京など離れた地域から時間をつくってはお手伝いにかけつけているボランティアの方たち。まめちびさんの東京のシェルターで出会ったことのある犬猫たちが、こんな状態で保護されたんだよという話を、車を停めては聞き、現実に無人の家屋がならぶ村や町に降り立ちました。
 
地道に活動を続けていらっしゃる方たちの姿に感動し、そして大切な勉強になりました、などといううすっぺらい言葉では表現できません。心の奥底に大きな杭が打ち込まれた気持ちです。
帰路につく最後に、汚染土の黒い山と除染作業中のピンクの旗がいたるところにある南相馬市を通りました。
 あの黒い土が、一かたまりでも東京のまん中にある公園に置かれたら、ものすごく大騒ぎになるでしょうけど、この場所では当たり前に山積みされています。そしてこの先どこへ移動するかもまだ決まっていないとのことでした。
 同じ地面が続いた国に住んでいながら、どうしてこの土地はこうなってしまったんだろうと思います。
 雪が降り積もった飯館村に独り暮らしている犬の姿とともに、目の奥に焼きつきました。







2015年1月7日水曜日

なまこが引っ越しました。
















(7色の虹もようナマコ)
今日からBloggerへブログのお引越しをしました。
これからも細々とつづけていきたいです。

今日は七草粥をいただく日です。
以前はおかゆなんて嫌いでしたが、今は朝食など、おかゆの方がいい感じです。
年末から昨日までの呑み食いにたえてくれた胃袋さんに感謝します。

2015年1月1日木曜日

ひつじさん年



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(氷河が染まる朝)
2015年になりました。

今年も、いいことがたくさん見つけられますように。
悲しいことを少しでも減らせますように。