2016年12月19日月曜日

るすばんねこ 18

 
 
るすばん一ヶ月を過ぎ、今日が最終日のニャアコちゃん。すっかり冬支度です。かまくら風の赤いドーム内にはタータンチェックのベッドが入れてあり、二重構造の暖かさなのでした。
 暖地では無理な望みですが、たくさん雪が降ったら「かまくら」をつくってみたくなります。
私は幼い頃、祖父母の家・福島県奥会津地方で雪と戯れさせてもらったので、雪の穴の不思議な空間は体感しています。しんとしているようで、かすかな音が聞こえるせまいあなぐら。
 でも実は、窓のない空間が苦手で、ちょっと時間が経つとそわそわして出たくなってしまいます。窓から外の景色が見えないと、落ち着かないのです。
 一昨年、南イタリア・アルベロベッロにあるトゥルッリという建物に泊まりました。メルヘンチックな小人の集落みたいで、白い壁に囲まれた小さな丸い家はかわいい三角屋根をのせていました。
 素敵なコテージでしたが、室内はとても小さな窓が一つだけ。せっかく泊まったくせにやはりそわそわ落ち着かず、ほとんど外を散策していました。
 友人には「洞窟が好きなくせに、変なの!」と言われますが、特に閉所や暗所の恐怖症ではなく、ただ外を見たくなってしまうだけです。もしかして、前々世あたりで、外界が見たくても見えない城壁に囲まれたお姫様だったかもしれない…と言ったら、悪いことして一生牢屋で過ごしたんじゃないと笑われました…どっちにしても、窓のない住居は考えられません。
 ニャアコちゃんも窓辺が大好き。でも、とても怖がりさんなので、突然、聞きなれない物音や人がやってくると風のように赤いかまくらへかけこんでしまいます。かけこむだけじゃ安心できないのか、さらにチェックのベッド下へもぐりこんで、まったく姿を隠してしまうのでした。その早業、まるでイリュージョンです。

2016年12月13日火曜日

にぎやかな秘境

 先日、千葉県君津市の「濃溝の滝・亀岩洞門」を訪れる機会がありました。
インターネットやテレビでかなり話題になっていると聞いていたのですが、もう紅葉も終わったし、そんなに人がいないでしょうと思ったら大間違い。大型バスまで停車していて、一周30分弱の遊歩道は、ゾロゾロ行列が途切れません。写真は少し人が切れたところをねらって撮ったものです。
 ネットでは、東京からすぐ来れる秘境としてもてはやされていました。ネット閲覧しないご高齢の方も、NHKのニュースで出ていたからねえと駆けつけます。やはり、テレビとインターネットはすごい影響力だなあ…と改めて思いながら、私も行列の一部になって歩きました。
 「あれいいね!」も「これダメ!」もあっという間に広がります。善い集まりを募るのも、悪い犯罪が巣食うのも…まさに、両刃の剣ですね。
 これが普通の滝だけでトンネルがなかったらここまで人気が出なかったかもしれません。
各地にあるさまざまな洞窟や洞門は、多くが聖地になっています。神々しいものや、畏怖するものを洞窟や洞門に感じる古人が多いのでしょうね。
「そこをくぐると…」異空間へ行くことが出来る、または今の自分から突き抜けた者になれる!などという修行の場もあります。
 そういうご利益もあるかもしれませんが、私たちはそこにひっそりと住んでいる『ダレカさん』の存在を踏みにじらないように訪れたいものです。ガヤガヤと大声で叫んでみたり、酔っ払ったついでに走ってみたりするようなことなく…。神様もびっくりして逃げてしまいます。

2016年11月29日火曜日

水に溶けているもの

                               (かまくらニャアコちゃん)
先週、関東地方にも雪が降り積もりました。
私の住む地域ではほとんどミゾレに近い雪だったので、ほんの一時しか積もらず、すぐ溶けてしまいました。大人はほっとしたかもしれませんが、子どもはがっかりの降雪でした。

 こんな日の湿った雪には、地上に降りて来た時にはすでに、氷の結晶がほとんど見られずつぶれてしまっているそうです。
 氷の結晶について、いろいろな本や写真集を目にしたことがありますが、インパクトが強かった本が10年ほど前に見た『水からの伝言』です。
 様々な言葉を書いた紙を貼り付けた水を凍らせ、結晶がどんな形になるか実験して写真に収めたものでした。それによると、「ありがとう」(外国語も含めて)というような感謝の言葉を貼り付けた水に美しい結晶が出来た反面、「ばかやろう」というような悪い意味の言葉を貼り付けた水の結晶は、不安定な形状で美しさが劣るとのこと!
 写真の結晶には、美しい樹枝状のものから、奇妙に崩れた不定形なものまでありました。
当時の私は、おもしろいなと思うのと同時に、正直言って少しは疑いも持ちました。
「人間と水の価値観って一致するの…??」
ネットで『水からの伝言』と検索すると出てくるのですが、非・科学的で根拠が無いという批判の記述も多いようです。
 でも、今は思います。確かに非・科学的で『実験と結果』と言いがたいものかもしれないけれど、そういうこともあるのだろうなと思います。
 もしかしたらラベルに記載された言語が結晶に作用したのではなくて、ラベルを貼る人間の感情が水に伝わって、結晶の様々な形に反映するのではないでしょうか?
「ばかやろう」や「戦争」という言葉に苦しくなり、「ありがとう」や「平和」にやすらぐ思いを持って、ラベルを貼り付けた人間の感情。だからその水を扱う人によって結晶は姿を変えていくかもしれません。(どんな言葉を見聞きしても無感情な人なら、変化のない結晶ができたりするかも…。)
 水にはそんな想いが溶け込んでいて、凍ったり蒸発して姿を変えながら、この星を潤してくれている気がします。

2016年11月17日木曜日

るすばんねこ 17

 満月が大きく見える日の翌日から、るすばんねこになったニャアコちゃんです。今度はクリスマス頃までの長い留守番。お月様みたいなボールと一緒に撮影です。

 あいにくの雨で、関東では大きな満月は見えなかったようです。この次に同じくらい大きく見えるのは、18年後だとか。
「18年後って30歳!?うわ~おばちゃんになってるのかな!」
と、小学6年生の女子がさわいでいました…。確かに、私も小学生のときは、おばちゃんになる自分は怖かったかもしれません。自分の顔にしわが出来ることなど、想像すると恐ろしかった気がします。実際なってみると、怖いものはありません。
 この先の18年後は、そうのんきに考えられません。18年後、今、私の周りにいてくれる、大切な命たちはどうしているのか、考えるとちょっと深刻になってしまいます。
 18年後と言わずとも、明日何が起きるかわからないのです。
どうかみな変わらず、存在してくれますように。ニャアコちゃんはますます穏やかな長老猫になり、18年ぶりの大きなお月様を眺めていてくれますように。
 そして、月面が基地だらけになっていたりしませんように。
 





2016年10月31日月曜日

るすばんねこ 16

留守番中に、ニャアコちゃんの窓辺前にもコスモスが咲きました。
去年近くのコスモス畑でもらってきた種ですが、レモンイエローのコスモスから確実に採らせていただいたはず!
 ピンクと白は毎年自然に咲いてくれるので、見たことがなかった色をもらったのです。キバナコスモスのオレンジに近い黄色ではなく、本当にレモン色でした。
 ニャアコちゃんに、もうすぐレモン色のお花が咲くよ~!と声をかけていたのですが、なんと不思議なことに、咲いたらうす~いピンク色。
 黄色いコスモスが変化してしまったのか、それとも黄色いコスモスの種は発芽せず、飛んできた別のコスモスが咲いたのか…わかりません。
それにしても、うす~いピンクです。
「不思議だね…。」
花をまじまじと観察する私の方が不思議なのか、ニャアコちゃんは?の顔で、私を観察していました。


2016年10月20日木曜日

るすばんねこ 15

 
(お隣からいただいたダリアの花と一緒に撮影)
 昨日からまたしばらく、るすばんねこのニャアコちゃん。先月まで食欲が減っていたのですが、10月に入ってそれを取り戻すように、食欲旺盛になりました。
今はますます丸顔で、鈴カステラみたいです。
秋のお彼岸をすぎても変わらなかった暑さが、10月10日くらいから急激に秋とすり替わり、すっかり寒くなりました。この時期、室内にダンゴ虫が入ってくることがあります。やはり寒いからでしょうか…?
 今朝もニャアコちゃんが爪先でコロコロ転がしていたので救出し、庭のお仲間へ合流させました。
 最近、科学番組映像で、ダンゴ虫について驚くべきことを知りました。
彼らの寿命は3年もあるそうです。あの小さな虫が、何も事故や病気さえなければ3年も生きてくれるそうなのです!生まれて1年かけてやっと成虫になるのだとも聞きました!すごいな~と感心しました。
 でも、よく考えてみたら短い命と言われる蝉だって、幼虫時代を4・5年土中で過ごしているのですね。ダンゴ虫だけ特別扱いして驚くことはなかったかもしれません。
 ダンゴ虫は海の中のナマコさんと同じように、地上の老廃物を土に浄化してくれる生き物です。もしダンゴ虫がいなかったら、地面は落ち葉などの老廃物であふれてしまうでしょう。
たかぎなまことしては、ついつい肩をもちたくなってしまいます。

2016年9月30日金曜日

舞い降りたお客さま

 
(南房総市三芳村の彼岸花)
 今年もこの花が咲きました。この花がたくさん咲いているのを見ると、静かな気持ちになりますが、今年はずいぶん派手に咲いている風景を見られました。

 咲き誇る花の列に、赤い色が好きと言われているアゲハ蝶がたくさん舞い降りていました。
蝶を見ていたら、若い頃、中国哲学の『老荘思想』に夢中になったのを思い出しました。
有名な説話が『胡蝶の夢』だから、蝶で思い出したのでしょうか。
「夢の中で蝶になり飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか」という説話。
「現実世界で相反するかに見える事象は見せかけに過ぎず、万物はすべて等しい。どこからどこで区別されているかなど無意味」といった思想が好きでした。
物体は、観測するまではそれが何か決定しない。観測時点に物体は定まるという量子力学の世界にも通じそうな思想です。
 人間が区分け・線引き出来る世界など、ちっぽけな点に過ぎない気がします。

 蝶の飛び方は、予測不能で不確かです。ちょっと酔っているような、気まぐれなような、めくらましのような…。世界中のあちこちで、蝶は死者の魂と信じられていたようですが、蝶に限らずすべての動物や虫たちは、かつて人間だった方たちの魂が宿っているかもしれません。
私はもし生まれ変わるとしたら、何がいいか考えました…が、思いつきませんでした。
 ナマコさんを尊敬しているのですが、ナマコにはなれない気がします。

2016年9月19日月曜日

危険な引越し

 
 
先月から各地で台風による災害のニュースを聞くことが多く、本当に胸が痛みます。
災害支援に動いてくださっている方たちへ感謝し、これ以上被害が出ないよう祈るばかりですが、今週もまた、台風が接近中だと聞きました。
 先日、写真のアカミミガメを夜の路上で発見しました。高速で走り抜ける車の多い、県道のセンターライン横に首をすくめて止まっていました…。朝になると動物の事故を見かけることがある危険な道です。
 私も運転中だったので亀の手前で停車し、あわてて助手席へ連れ込みました。
驚いて甲羅だけになった亀に、「用事が終わるまでちょっとおとなしくしていて」と言い聞かせましたが、私と初めての自動車がとても怖かったのでしょうね。おどろくべきスピードで助手席下のマットをめくりあげて姿を隠しました!
その後大きな沼へ亀を連れて行き、水辺で放す前にかわいい顔を撮らせてもらいました。
立派な甲羅は20センチほどあり、ずっしり重い命でした。

 亀たちは時々あのように路上を渡っているようです。道路わきにのびる農業用水路沿いに住む彼らは、長雨で水が増えたり、乾燥で水が枯れたりすると引っ越さざるを得ないようです。
 翌朝の通勤途中、違う場所で、路上で息絶える亀を見つけました。
私の住む地域は、今のところ水害もなく無事に過ごしているのですが、小さな命たちは被害を受けていました。天災で住む場所を奪われる命は見えない場所にもたくさんあるのを改めて想いました。

2016年8月28日日曜日

再会

(アルプスマーモット・PizBoe山腹Lago di Boe付近で)
10日間イタリア・ドロミテ山地を歩き続けて帰ってきたら、8月もあと数日で終わってしまうところでした。
 7月終わりから家族が入院したり、捨てられ子猫を保護したりといろいろハプニングがあったので、今年は行くべきじゃないのかと迷った旅でした。けれど無事楽しませていただいたので感謝です。写真のかわいい方に再会できて、とても幸せな山歩きでした。
 去年ひとめぼれした山のサッソ・ルンゴに再会し、今年はトレ・チーメを中心にドロミテ山地東側を周りました。ドロミテ唯一の氷河をのせたマルモラーダ山ともお近づきになれました。
 氷河と言っても、まるで山頂にバニラアイスを盛りつけたのが、少し溶けて山肌が見えている感じ。3年前にスイスで出会った、アレッチ氷河の大迫力とは違う雰囲気でした。
 でも、マルモラーダの氷河もかつては山頂だけでなく、山腹をうねる姿を見せていたのかも知れません。短い寿命のヒトにさえ見える変化は、何万年もかけて堆積した灰白色の岩から見たら、驚くべきスピードでしょう。止まらない温暖化は私が生きている間、どこまであの氷を溶かすのでしょうか。
 自分の周りにも、いつ何が起きるかわからないなと実感した今年。毎年旅行ができることは、つくづく感謝すべきありがたいことだと思い知りました。
 今度再会する時にも、マルモラーダやマーモットが元気な姿でいられるよう心から願っています。

2016年7月27日水曜日

るすばんねこ 14


昨日から留守番スタートのニャアコちゃん。手をそろえて何かお願いしているような表情に見えますが、空中に浮いた自分の毛が気になっているのです。抜け毛の時期はのりこえましたが、結局、猫草は一口も食べませんでした…。

「うさぎも好きならニガキをかじる」ということわざがあると聞きました。
「蓼食う虫も好き好き」と同じで、苦木を好んで食べるうさぎがいるように、人の好みは様々なので一様には説明できないという意味でした。
ニガキ(苦木)という樹木を調べたら、名前の通り木の皮は苦いそうで、しかも胃薬に使われる薬効があるそうです。そして、ノウサギの中には実際にニガキをかじる例があるらしいのでした。
 ずいぶん昔に、何の書物で読んだか忘れてしまったのですが、
『野生に暮らすノウサギたちは天敵に襲われる率が高いため平均寿命が短い。そして常に追われるストレスにさらされるため、亡骸を解剖すると胃潰瘍になっていることが多い』と書いてありました。
 ニガキをかじるノウサギは、物好きを例えるただのことわざではなくて、本当に胃が弱って胃に効くものを取り込んでいるのかもしれません。
 野生動物たちは、草木の薬効を自然に教えてもらって生きています。ですから、山の恵みを人間が独り占めしないようにしてほしいなあと、つくづく思います。
 猫たちが草を食べて毛を排泄するのも、天然解毒剤みたいなもので自然界から教わったのでしょうね。しかし、ニャアコちゃんは草ではなく、毛玉対策のキャットフードに頼る道を選びました!

2016年7月7日木曜日

るすばんねこ 13

 るすばんねこ1ヶ月と7日目。るすばん最長記録更新中のニャアコちゃん。
先日、毛玉を上手く吐き出せない時があったので、今まで毛球症対策フードに頼って、あげていなかった「猫草」を置くことになりました。
 しかし、食べるどころかぎょっとして草に近寄らず,あやしんでいました。なぜ、突如草が現れたのかが気になっているようです。とても怖がりさんなので、仕方ありません。
 
 今日は七夕。私も毎年、短冊に絵とひと言かいています。
以前にお願いしたことがかなったので、七夕の夜に感謝を伝えようと思い、最近短冊にお礼を書いています。神社仏閣にお礼参りするように、七夕さまにも、『かなったよ、ありがとう短冊』があってもいいかなと思いました。
 
 ニャアコちゃんのお願い事は何でしょう?もしかしたら、「るすばんはしたくないニャ。いつもなでてほしいニャ!」でしょうか…。(「大好きなおやつのチュル、もっとふやしてニャ!」かも…。)
 「猫草」が怖くないとわかったようで、体当たりして草をゆらすようになりました。草がゆれるのがおもしろいのかちょっとゆらしてはびっくりして飛びのいて…ニャアコちゃん、どうやら草に遊ばれているようです。
 
 

2016年6月29日水曜日

ネムノキの花

(ご近所の軒先で撮影)
 大好きな樹と花の一つです。ご近所にあるのでこの時期思い出すと観にいっていますが、大木になるし、毛虫もつくので、住宅地では最近あまり見かけない気がしました。
 今週初め、この樹がのびのび大きく枝を広げている場所へ行ってきました。
茨城県で動物保護をされているNPO法人CAPINさんのシェルター裏山です。
 はじめておじゃまして、ワンちゃんのお散歩お手伝いもさせていただきましたが、その途中ネムノキの大樹に会えました。大きな枝に、たくさんのフサフサピンクのお花をのせ、梅雨の晴れ間の太陽を浴びていました。
 ネムノキと同じように、のびのび暮らしている犬猫さんたちと会わせていただきました。
『震災で消えた小さな命展3』でお会いした参加作家のドラメイさん、そして先月から熊本で活動を共にさせていただいた鶴田さんからうかがっていた通り、本当にあたたかい空間のシェルターでした。慣れていない子達、人が大好きな子達、さまざまな犬猫さんたちがたくさん暮らしていましたが、お世話に通ってくださるボランティアさんの愛情に囲まれて元気そうでした。どの部屋にお邪魔しても、「あなたたち、ここにこられて、ほんとによかったね。」と心から言いたくなりました。

 ワンちゃんのお散歩をしながら、
「この子は、本当にかわいそうな状態で保護されたんだよ。飼われていたにちがいないのに、ひどいものだった。」
と教えてくださったベテランのボランティアさんがいらっしゃいました。首輪がついていたのにヨレヨレで、病気にもかかっている状態で保護されたそのワンちゃん。現在はベテランボランティアさんと嬉しそうにお散歩に出かけ、穏やかにみえました。
 常総市の野犬問題などを含め、茨城県がかかえるさまざまな動物問題、いろいろうかがっています。(CAPINさん のページhttp://ameblo.jp/capin-blog/
よそ事ではなく、自分たちの地域に関しても探究しておかなくてはならないことだと、つくづく思います。
 
 ネムノキの花、今年はご近所だけじゃなくて、あんなに大らかな樹花たちと出会えたことが嬉しいです。そして、素敵なシェルターへまたおじゃまさせていただきたいです。

2016年6月19日日曜日

るすばんねこ 12

 
るすばん20日目のニャアコちゃん。命展と熊本支援で、6月はうささんと会えなさそうです。
ニャアコちゃん、今の時期とてもよく毛が抜けます。金属製のスリッカーブラシでとかすと、気持ちよさそうなのですが、だんだん嬉しくなるのか、ブラシにちょっかいを出すのでした。ブラシと遊びたくなってしまうので、なかなかブラッシングが進みません…。
 
 以前、新緑の丹沢山塊を登山中、小鳥が巣材を拾い集めているのを目撃しました。繁殖期の親鳥は、巣作りの材料に獣の毛も利用するそうです。双眼鏡のレンズには、タヌキかだれかの抜け落ちた毛をくわえている小鳥が見えました。
 しばらく双眼鏡で追っていると、私のいる登山道へ舞い降り、地面の上の何かをついばみ始めました。
 どんな巣材を見つけたの?とのぞいた私は思わず、それはダメ!と大声をあげてしまいました。
そこに落ちていたのは、タバコの吸殻です。小さなくちばしで、吸い口のフィルターをつつき、巣材に使おうとしたのでしょう。黄ばんだフィルターの綿が半分ほぐれていました。あんなに有害物質を吸収しているものを、巣材にしてもらいたくありません。山にもたくさん住民がいることを考えない人間が多く、空しい気持ちになりました。
 登山道のゴミをすべて拾うのは難しいですが、私はなるべく吸殻くらいは拾うようになりました。日本だけでなく、オーストリアのチロル地方も、イタリアのドロミテ山地も、吸殻を捨てていく人間はいました。でも、同じように拾いながら歩く人間にも会えました。空しさが半減します。
 
 ニャアコちゃんの抜け毛も、巣材に利用したいダレカがいるかもしれないのですが、さすがにこれだけたくさん毎日抜けると、庭にとばしたらご近所迷惑になります。毛を飲み込まないよう、気をつける日々は、まだ続きそうです。
 


 

 

2016年6月8日水曜日

熊本のこと・・・2

 
(熊本上空から 美しい山並み)
 先週木曜夜~日曜、熊本へ行ってきました。3度目の今回、茨城県のNPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワークCAPIN」の鶴田さんとご一緒させていただき、お手伝いをしてきました。
 常に素晴らしく行動力ある鶴田さんの計画は、熊本県の『動物管理センター』から被災猫をひきだして、預かりをしてくださる宮崎県のボランティアさんの方へ届けること。そして、比較的元気な猫は、翌朝、宮崎空港から飛行機で東京のボランティアさんへ送るというものでした。
 ミルクを飲む仔猫たちのケアが不十分なセンターの環境に、これ以上おいて置くことは死につながると判断された鶴田さん、なんと仔猫24匹・成猫5匹の合計29匹を一度に引き出したのでした!大胆かつ迅速な決断力に、感動しました…。
 
 熊本・益城から高速に乗り、宮崎へ。途中、かつて観光と登山で訪れたことのある、球磨川沿いの美しい山間地や、霧島連山に続く大好きなえびの高原のふもとを通りました。
 私の運転する車の前を行く、鶴田さん・宮崎の野中さんの車には、出発前から弱っている仔猫がいました。鶴田さんが座席を乗り越え、仔猫がいる荷台でお世話をされているのが見えました。

 けれど、宮崎市内の動物病院駐車場で、ゲージを開いた野中さんの悲痛な声でその命が終わっていたのを知りました。手足を伸ばした仔猫の身体は、冷たく硬くなっていました。
 2時間前には生きていたのに。高速道路沿いに見える山並みの美しさを眺めていたあの時が、仔猫の命の灯が消える瞬間だったのかもしれません。
 仔猫の命が消えた理由はたくさんあります。管理センターでの過ごし方、その前の保健所へ回収された経緯、大地震。何よりも野中さんがその仔にミルクをあげながら言った言葉を後から聞き、心に突き刺さりました。
―育たん猫は、こういう顔をしちょるわ…。

 わずか72時間ほどの熊本滞在中、たくさんの被災猫たちの命をつなぐ手伝いが出来たこと、本当に良かったです。でも、そのうちの2時間、命を消しつつあった仔猫と宮崎まで同行したこと、忘れられないと思います。




2016年5月30日月曜日

早足の5月

自宅の横を流れる用水路から、田んぼの畦へよじ登る子だくさんなお母さん。
10日ほど前撮られた写真ですが、私が撮ったものではありません。
 水路が見える窓辺で待ち、カメラを構えていた老父が撮りました。
「今来てる!早く早く!」とシャッターチャンスに協力した老母の快挙もありました。
 ゆとりなくせかせか過ごしている私には、とても撮れる写真ではないのです…。
 このカルガモ親子、今は他の広い池へ旅立ったのか、この場所に来なくなったそうです。無事に安全に、13羽とも巣立ってくれるのを祈ってます。

 5月が早足で去ろうとしています。一年で一番好きな月なのですが、たいていこんなふうに忙しく過ごしています。何かしら行事が多く、出かけることが多い月なのでした。

 熊本地震の被災地では、今月中で閉鎖・縮小される避難所もあります。
今、いろいろなことが次に向けて早足で進められていることでしょう…。その速度に追いつけず、はじかれるような命たちが無いことを願います。
 カルガモのお母さんも早足ですが、後ろの子が追いつけない速度では移動しません。
 

2016年5月12日木曜日

熊本のこと

  (熊本県益城町・マクドナルド前)
 阿蘇火山を抱く大地が大きく揺れてからもうすぐ一ヶ月。連休の前半と後半に分けて、先月末から熊本で活動されているうささんたちのグループのお手伝いをしてきました。「小さな命展」の志をこめた、動物とその飼い主さんたちへの支援活動でした。
 滞在中、倒壊家屋の隙間から一匹のワンちゃんを救い出す作業に協力できたこと、迷い猫ちゃんと飼い主さんが出会う橋渡しを出来たことなど、胸がはちきれそうに嬉しい出来事がありました。
 けれどその反面、こんな時に出会いたくなかったような、ひどい動物虐待者や恐ろしく冷たい人間にも会いました。余裕があるときは優しい顔で小さな命を保護したのに、余裕がなくなった途端にそれを見捨てようとする人にも会いました。
 
 人間はなぜ動物と暮らそうとするのか、つくづく考えました。どうして人の家族以外に、動物を家族に迎えるのでしょう。
 そんなこと一言で答えられません。私自身も、どうしてなのかわかりません。
けれど、家族として動物を迎えた人間が多数いる以上、災害時の身の安全を確保するのが人間の義務です。 泣き叫ぶ小さな子どもや、怒鳴り声を出すお年寄りを避難所から追い出すことが無い人間が、犬や猫は追い出してしまうのは不思議です。
 うるさいから、臭いがあるから追い出すのではなくて、そうならないように工夫できるのが人間のいいところのはずでは…?
 実際、周りの気遣いで上手に動物と避難生活している方とも出会えました。
その大きなワンちゃんは、避難所の方たちにかわいがられながら飼い主さんと体育館の廊下にひっそりねそべっていました。おとなしいワンちゃんも、もし飼い主さんと無理やり離されていたら、大声でほえていたかもしれません。
 弱い立場の人も動物も、一緒にうまく避難生活を送るのは不可能ではありません。建物の構造によっては無理な場所もあるでしょうが、何より工夫しようと思う人がいるかいないかで決まってしまうのでした。
 避難所が統合され、減っている時期の現在、更に動物と一緒に避難することは困難になっています。これからも出来る限り支援をさせていただきたいと思います。

2016年4月26日火曜日

るすばんねこ 11

 
昨日、熊本の被災地へ支援ボランティアへ向かったうささん宅で、ニャアコちゃんはお留守番。
私も微力ながら協力する予定ですが、はたして役に立つかどうかは不安です。
 この10日間、心はたえず地震のことで揺れていたような気がしました。
たくさんの方が、「何か自分にできることはないか!」と思ったのではないでしょうか。

 地震発生時、猫を一緒に連れて避難するのが大変難しい…猫と暮らしている方の多くがそう言うかもしれません。
犬だってもちろん、パニックになったらおとなしく連れて行くのは大変だと思いますが、揺れに驚いた猫たちは、とんでもない隙間へ身を潜めてしまい呼んでも出てこないそうです。ましてや、キャリーバックへ入れるのはさらに難関でしょう。
 『震災で消えた小さな命展』へ申し込まれた猫の飼い主さんからも、そのようなお話を聞いたことがありました。
地震発生から津波到達までの短い時間、いくら呼んでも出てきてくれない愛猫を、泣きながら残して避難してきたのだという苦しいお話。
どんなに時が経っても、消えることがないつらさです。

 ニャアコちゃんは、地震の時どのようになってしまうのか…もしここへ入ったらこの洗濯ネット、こっちへ入ったならマタタビで誘うというふうに、いろんなパターンを考えてはいますが、予想通りになどいくはずないのも覚悟しています。
 熊本でも、飼い主さんとはぐれた動物たち(特に猫たち)は多いと聞きました。
自分の歩く床や地面が突き上げられ揺れ動く恐怖は、人間も動物も同じくふりかかるものだと思います。
一日でも早く、すべての命に平穏が訪れることを祈ります。


 

2016年4月15日金曜日

星のひとみ

  新年度をバタバタと過ごしているうちに、4月は半月も経ち、庭は草花で大きくふくらんでいました。
写真のイヌノフグリは少し前に撮ったものですが、今はカラスノエンドウたちにうもれて姿が見えません。
 このイヌノフグリ、和名の由来があまりおおっぴらに言えないのはよく知られています。
何しろ犬の金○○ですから…。果実の形が似ているらしいのですが、植物博士の牧野富太郎氏はどうしてそんな名前しか思いつかなかったのか不思議です。
こんなきれいな色で、春一番に咲いてくれる花なのに、もっと候補はなかったのでしょうか。
 イヌノフグリに限らず、植物の和名の中には、趣味悪いんじゃないの?と首をかしげるものが多い気がします。
 すぐれた観察力をもって命名しているのでしょうけど、英名では詩的な名前だったりするのを知ると、和名にがっかりしてしまいます。
 
 何年か前、イヌノフグリを「星の瞳」という素敵な名前で呼ぶ地域があるのを知りました。 
千葉県の北西部で伝わる呼び名だそうです。
 つけられた名前は変えられませんが、別名や方言にはいろいろと素敵な名前があることを知りました。
 青い星の花の中心にある、白いはっきりした瞳。小さくて美しい星の子たちです。






2016年3月31日木曜日

なかよしな岩


  静岡県浜松市にある『竜ヶ岩洞』という鍾乳洞を訪れました。 浜松駅からバスに乗って約1時間。 のどかなみかん山にかこまれた場所にあります。
 鍾乳洞訪問は去年3月から1年ぶりです。岩手県大槌町で始まった小さな命展3へ行く途中、寄り道した『滝観洞』。釜石市から遠野市へ向かう山間にあります。名前の通り、洞内にかなりな迫力の滝を観られ、とても感動しました。
 今回訪れた竜ケ岩洞も、落差30メートルで滝が流れ落ちていると聞き、期待をこめて入洞!
 滝も含め全体的な迫力は滝観洞にかなわなかったですが、透き通りそうに真っ白い鍾乳石や石荀、石柱が素晴らしく美しかったです。
 そして、上の写真のようなネーミングが気に入りました。夫婦石とかありがちな名前をつけず、なかよし!通りかかる人が思わずにこっとしてしまいます。
 ひっそり仲良く寄り添う石荀は、洞の天井から一滴ずつ落ち続ける石灰水溶液を浴び、200年で1㎝育つそうです。つらら型の鍾乳石とちがい、重力に逆らって成長するので大変ですね。
2000年後に10㎝、4000年後に20㎝…1mを越す貫禄ある『なかよし』に育つのは2万年後です!
(そんなに同じ条件で、水を浴び続けられることはないでしょうけど、理論上は…。)
 この鍾乳洞はその頃とっくに崩落し、地中に埋まっているかもしれません。再び掘り出されたとして、その『なかよし』たちを眺める生命体はどんな姿なのでしょう!
もしもヒトだったとしたら、近未来に起きるかもしれない人類滅亡の危機は乗り越えたことになります。
 地球が壊れず、ヒトが他の生き物を滅ぼさず『なかよし』でいてくれることを祈ります。

2016年3月11日金曜日

震災で消えた小さな命展・・・33

命展3で私が描かせてもらったミドリフグのゴロマサちゃん。
一昨日飼い主さんがお迎えにきて、大切に抱えられて帰られたと聞きました。 そのときのお迎え写真をみせていただき、絵になったゴロマサちゃんが何とも得意そうな顔になっているように見えました。私も嬉しいです。  
 
 最後の会場宮古市へ、今週初め訪れました。去年の春大槌町へ行ってから約一年。 いつも命展をささえてくださる宮古と釜石の方たちとお会いしたい、そして、絵になった動物たちと宮古でもう一度会いたいなという気持ちでした。  
 今回は、それプラス素敵なことがありました。落語家の立川平林さんがチャリティーで落語公演にきてくださったのです。テーブルを2段重ねただけの即席高座で、平林さんは力演してくださいました。 『動物愛護の落語』はじめて聴きましたが、本当に心を打つ内容でした。是非多くの方に聴いてほしいです。 『小さな命』を大切にしてほしいという活動を、さまざまな方たちがさまざまな手段で続けているのを改めて感じ、心強く思います。  

 震災の日から5年の今日、無神経なマスコミインタビューを耳に入れたくなかったので一度もテレビやラジオをつけずにすごしました。 暖地には珍しく、雪になりそうな寒さの午後。避難所に入れずに外で一晩過ごした動物連れの方たちの辛さを想像することなど出来ませんが、つくづく考えました。命展3は今週で終わりを迎えますが、そのようなことがなくなる時まで、これからも続くことと思います。

2016年3月3日木曜日

るすばんねこ 10

命展3が最後の会場・岩手県宮古市で明日から行われます。宮古展最終日には絵になった動物たちは飼い主さんの家へ帰って行くので、全員がそろって飾られるのはこれで最後となります。
 宮古から大船渡、宮城県の石巻市へ絵のお渡しをするうささん宅で、ニャアコちゃんは昨日から12日間のするばん開始です。

 今日はひな祭りの日です。ニャアコちゃんにはなんのことやらわからないでしょうが、お姫らしいお顔で写真に写っていただきました。
最近やたら巨大なひな壇飾りが話題になりますが、あんまり高いひな壇だと一番上のお雛様たち、さぞかし怖いでしょうね。

 何年か前、予期せぬ場所でたくさんの雛人形たちと出会ったことがあります。
ドライブ途中、きれいな花畑があると聞いて寄り道したお寺。本堂へお参りした後、オルゴールの音が流れているお堂に気づきました。ガラスの小窓から中をのぞくと、身を寄せ合うように並ぶ、あらゆる種類のお人形さんが見えます。
 お雛様たちのような日本人形だけでなく、外国の人形、動物のぬいぐるみ、だるまさんもいます。あとからお寺のパンフレットを見て、そこが人形供養で有名な「長南町の長福寿寺」だと知りました。人形たちは、3ヶ月ほどそのお堂で過ごしてから供養されるそうです。
 うちにお雛様はいるけれど、私の人生で関わった人形たちとの別れ、憶えているのはどのくらいか…。知らぬ間に、目の前からも記憶からも消えていた人形やぬいぐるみたちがいるはずでした。もう一度会えるならちゃんとお礼を言いたいなと思いました。
 その時私がもらった大切なものは、今の自分のためになっているはずなのです。
 
 一時はお姫顔だったニャアコちゃんでしたが、カメラについているストラップが気になり、ジャンピングしてきました。おてんばな姫です。

2016年2月18日木曜日

るすばんねこ 9

 
 ニャアコちゃんは24日まで9日間の留守番中。微妙な距離を空けて座る『わん丸くん』と外を眺めています。庭には水仙が咲いていていい香りをただよわせています。お隣の庭のミモザの樹が満開で黄色い枝をゆらしているのが、ニャアコちゃんからも見えるようでした。
 
  昨日、久しぶりに悲しい交通事故で横たわる猫の体を目撃しました。
通勤途中の田んぼ道の路肩。のどかに菜の花が咲く道のりを自転車で走っている時です。帰りにそのままだったならうちにつれて帰って埋めようと思いましたが、夕方には亡骸は無くなっていて、路面は痛々しいほど多量の血で染まっていました。
 車のすれちがいもやっとの細い農道で、一体どんなスピードを出して走り抜けたら、あのように悲しい事故が起きるのでしょう。
 自転車で走る人間の私も、時折恐ろしいスピードの車にあおられてヒヤッとするときがあります。そして、そういう私自身もオートバイや車を運転していて、路肩から飛び立つ鳥にブレーキをかけてドキッとすることがあります。
自転車や徒歩ではそんなふうにドキッとすることはほとんどありません。鳥や猫の方が運動能力がすぐれているから、当然です。時速40キロなら回避できる事故が、60キロでは起きてしまう、そんな細い田んぼ道では警察の取締りなどないのですから、運転者が自ら思いやって通行しないかぎり、悲しい事故はなくなりません。

 この時期、花が咲き始め、庭に野良猫さんたちが通過していくことも多くなります。 にぎやかな季節になるのですが、交通事故も心配な季節です。
ニャアコちゃんのかつての顔なじみが冬を越して、姿を見せてくれるとほっとします。 しかし、ニャアコちゃんは声をかけられても、かなり知らんぷりしています。

2016年2月4日木曜日

るすばんねこ 8


 命展3・富山県射水市会場準備へ出かけたうささん宅で、6日間留守番中のニャアコちゃんです。昨日は節分だったので、わん丸君(愛知県犬山市キャラクター)にお面をかぶってもらいました。
何年か前に節分豆を買ったらついてきたオマケですが、赤塚不二夫氏のフジオプロ製らしいです。

 鬼面で思い出すことがあります。私が小学校低学年だった頃、図工の時間に節分の鬼面を作りました。毛糸のもじゃもじゃ毛と2本の角をはやした赤鬼。赤いクレパスで塗りたくった卵型の顔には、2つの目をくりぬきました。子どもの顔には少し大きかったけれど、輪ゴムをつけてかぶると、かなりな迫力だったと思います。
 それをかざってある時期、母の末弟である叔父が訪れました。兄のように遊んでくれる15歳年上の若い叔父はとても優しくて、私は大好きでした。
 しかし夜になって、叔父が母に、例の鬼面が恐ろしいので外してほしいと頼んでいるのを聞いたのです。母は私にことわって鬼面を壁から取り去りましたが、私はとても不思議でした。
大人なのに、こんなのが怖いの?という気持ちと、母の表情がなぜか暗かったからでした。
 叔父はその数年後、以前から患っていた心臓病で、25歳と言う若さなのに旅立ってしまいました。私は10歳でその式に参列しましたが、悲しさよりもやはり不思議で仕方ありませんでした。どうしてそんな若いのに、この世から消えてしまうの?と思いました。
 だいぶ後になってから、叔父があの当時、深刻な心の病も抱えていたことを知りました。さまざまなつらいことが重なったせいだと聞きました。

 私が作った鬼面を恐ろしく感じた繊細な叔父は、フジオプロ製の楽しげな鬼面なら外してと言わなかったかなという気もします。
 おとなしい性格のニャアコちゃん、わん丸鬼さんに近づいてネコパンチなどせず、やさしくチュッをしてくれました。

2016年1月26日火曜日

妖怪パレード


  先日、國学院大学の博物館を訪れました。ちょうど『絵巻に見る神仏・怪異』という面白そうな企画展示中だったのです。
  上の写真は『百鬼夜行絵巻』のパンフレットを撮ったものですが、英訳名を読むとディズニーランドのパレードみたいに思えてしまいます。
 『付喪神絵巻』(つくも神)の妖怪たちは、捨てられた古い器物たちが精霊になりかわってパワーを持ち、やはりパレードしている場面が描かれていました。最終的には僧侶に退治されたり、諭されたりして成仏するとのこと。
 そういえば、私が小学生だった時の教科書に載っていた童話に、つくも神のような妖怪が出てきたのを思い出します。
「茂吉の猫」(松谷みよ子)です。
 捨てられて妖怪化した古道具たちが村はずれに集まり、村人の茂吉に飼われた猫に酒を運ばせて夜な夜な宴会を開いていますが、その企みが茂吉にばれてしまい、猫は追われて妖怪たちの巣へ逃げ帰ります。ばれたなら茂吉を亡き者にしてしまえ!と妖怪たちから責められ、そこで猫はなんともじーんとくる言葉で拒みます。
「おらやんだ。おら、茂吉好きだもの。」
この言葉があまりに印象的で、この話を憶えている方も多いのではないでしょうか。
 隠れて一部始終を見ていた茂吉に妖怪たちは正体を暴かれて散らされ、茂吉も猫も助かるという結末でした。
 身近にある道具たちは、散々人間に使われて長い年月を過ごすのですから、その役目を終えるときもちゃんと感謝して見送りたいです。神社だけでなくてトイレに神様がいるように、器物にもそれぞれ神様が宿るのかなと思っておつきあいしていれば、自然に大切に出来るのでしょう。 
 けれど、急な豪雨が上がった後、折れ曲がってゴミの山になっているビニール傘を見ると悲しい気分になります。
『ツカイステタタリガミ』なんていう妖魔が新たに出現しそうに思えます。

2016年1月12日火曜日

お仲間発見

先日、房総半島南端へドライブに出かけ、『道の駅・ちくら潮風王国』という場所で、こんなかわいい方と出会いました!
 嫌われることの多いナマコのマスコットなんて初めて見たので嬉しくなりました。
早速連れ帰り、我が家のお仲間になっていただいてます。

 その小さなドライブ旅行中、ウミホタルの発光実験を見る機会がありました。
なんとなく嫌な予感はしていたのですが、やはり思ったとおり…彼らが発光する理由は、警戒警報みたいなものでした。
 つまり、私たちが「きれい!」と眺める彼らの姿は、実験する人によって脅かされて逃げ惑う状況なのです。彼らが驚くとルシフェリンという発光物質を体外へ分泌し、それが海水と反応を起こして青白い光を発するとのこと。網ですくって手でもんだり、攪拌したり…。ウミホタルの発光実験を検索してみたら、なんと弱電流を流して脅かすやり方までのっていました…。

 人間は、わずか数ミリの小さい生き物なら、あんなふうに脅かしても罪悪感を感じないものでしょうか。
 例えば「ホタル猫」という動物がいて、「怖がらせればお尻が光るんだよ!」と実験をしている人がいたら、きっと大勢に非難されるでしょうね…。猫とウミホタルの間に大きな差をつけている人が多いのが現実です。小さい虫なら感情や感覚がないように思っている人が多いのかもしれません。

 ウミホタルは、海の中でナマコと似たような役割もしてくれるそうです。砂の中に住み、そこに沈殿する遺骸など老廃物を食し、砂をきれいにしてくれます。そういう意味ではナマコとお仲間なのでした。
 海をきれいにしてくれる非力な仲間たち。「かれらにも感情や感覚があるのでは?」と想像してくれる人間が増えてくれたら、たかぎなまこも嬉しいです。





2016年1月1日金曜日

樹の上のともだち

 
(ダスキー・リーフ・モンキー)
 このかわいいお猿さんには、以前マレーシアのランカウイ島で出会ったことがあります。
金色の毛でおおわれた赤ちゃんとひっそり座っている姿を見上げ、ドキドキしました。
 愛嬌のある顔は、熱帯ジャングルの木漏れ陽に見え隠れしていました。
かれらのように草食で、樹の上で過ごす時間の多い生き物は、森が分断されてしまうと
生活が困難になってしまいます。
 地球の中に残された貴重な自然が、破壊されないようにいのりつつ、
自分たちができることを考えなくては!と思います。


 毎年祈ることですが、2016年も、平和が少しでも増えますように。