2017年2月23日木曜日

あこがれの女神

(山形県立博物館 縄文の女神)
 毎年そうですが、2月はあっという間にかけぬけてしまいます。たった3日短いだけなのに、何だか早く去ってしまうのです。
 先週、東北方面へ出かける用事があり、帰る日に土偶さんに会う寄り道をしました。
縄文の女神。大好きな土偶さんのお一人です。
国立博物館の特別展示と違って、あふれる人混みと行列もなく、静かな空間。フラッシュ無しなら写真も撮らせて頂けます。
 静かな暗い展示室で対面すると、あらためて、ホレボレする姿でした。背が高いのは見ての通りですが、3,1キロという体重に驚きました。
 創った人はよほどつよい想いを込めたのだろうな…と感じます。表面をきれいに磨き、ツヤを出す工夫までこらしてあるそうです。
 考古の世界では、女性の姿を表していると言われる土偶さんたちですが、あまりに不思議な造形が多く、魅力的なのでした。
 女神さん、どう考えても当時日常に暮らしていた女性をモデルにしたと思えません…。
土偶は宇宙人がモデルだとかいう説も聞いたことがありますが、縄文時代の地球では異星の生き物も、ごくふつうに一緒に暮らしていたりして…。周囲を見渡せば、異なる容姿の生き物が当たり前に歩いていて、お互いがそれぞれの特色と個性を排除せず尊重していた…なんて夢のような時代だったかも…!もしそうなら現代より何歩も進んだ世界です。
 タイムマシンがあったら女神さんが創られている現場に行ってみたいです。

2017年2月3日金曜日

るすばんねこ 20

今年の節分は、ダンボール製の猫さんに、鬼面をつけてもらいました。
ニャアコちゃんは不審な顔で、私を見ていました。一体なんのつもりにゃ?何がおもしろいにゃ?
 鬼猫さんにはちっとも関心をよせてくれませんでした。

 鬼退治をする桃太郎のお話を、簡単な英語劇にして6年生の子達が演じていました。
一人の子に「鬼って、昔はまじでいたの?」と聞かれたのですが、ううんとうなって、
「どこでもいるわけじゃないだろうけど、いたと思うよ。」と答えてしまいました。
 そもそも、鬼とは何か?さまざまな方が言及している資料が山ほどありますが、一番納得できるイメージは、『祖霊神』です。
亡くなった命たちが鬼の姿で出現するのかな…本当は鬼の姿などではないのに、見る人の心の状態で鬼に見えているのかな…と。自分には鬼に見えるのに、同じものを見ているはずの隣の人の眼には、神々しい神様が映っているのかもしれません。
 考えてみれば、世界中無数に存在する神々には、穏やかな神様だけではなく恐ろしく荒々しい神様がいます。鬼が神様なら、どうして追い出さなくてはならないのか…?
 6年生が演じる英語劇。鬼と桃太郎たちのエンディングのように、
「 We are friend!  We are happy! 」 でみんな仲良くなればいいのにと思います。
 でも人間は欲深く、あまりにたくさん悪行を重ねて生きているので、自分の内部の『鬼』を追い出さなくてはならない、そんな意味で節分に豆をまくのは納得できます。
 結局、季節の変わり目の、改めて自分を見直す行事と思うことにしました。
 
 ニャアコちゃんたち人間以外の動物たちは、追い出さなくてはならない鬼(=悪)など持っていないと思われます。だから、豆まきする必要はありませんね。